しーなねこ十篇
くじの師匠

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 宝くじ売り場で末等の二百円を受け取っていると、横から老人が話しかけてきた。 「これだけ買って、当たらねえんだから嫌になっちゃうよなあ」  ナンバーズの記入用紙の束を扇状にしてパタパタしている。  この老人には見覚えがあった。  会社の昼休みに、毎日コーヒーを飲むために訪れているクレープ屋でたまに見かけていた。話しかけられて、初めて老人を間近に見た。八十歳ぐらい。  老人だなあと思った。  老人は私にA5サイズのノートを開いて見せてくれた。ノートの隅々まで数字がびっしりと書き連ねてあった。  数字は鉛筆で書かれていて、書くときに手が擦れるのだろう、ノートの表面は全体的に鉛筆の粉で黒ずんで、うっすら光沢があった。 「ほら、ここの数字と、ここの数字。つながってるだろ。これ、誰も知らないんだよ」  数本だけになった歯を見せて、にやりと笑う。  老人は当選番号と、自分が予想した番号を、いつからかわからないが、数年分は書きためていた。  ある日の当選番号の末尾と、別の日の当選番号の先頭が一致するという法則を発見したと言って、その証拠に一致した箇所を何ページにも渡って見せてきた。 「ここと、ここ。だろ? ほら、ここと、ここも、だろ? 知らねえんだよ、みんな」  にやりと笑う。 「へえー、すごいですね!」  私は何となく話を合わせたが、次第に興味が湧いてきて、 「何回ぐらい当たりましたか?」「最高いくら当たりましたか?」  と、いくつか質問をした。しかし、老人は耳が遠いのか、聞かれたくないことなのか、私の質問にはひとつも答えなかった。  耳が遠い老人に特有の大声で、老人は持論を展開し続けた。  ナンバーズ4についての講義は約三十分にも及んだ。相変わらず私の質問は老人の耳に届かなかった。  老人は、発見した法則に従って番号を選ぶことで、損をしたことがないと言った。そして、得をしたこともないと言った。  その後、私は老人と別れ、いつものクレープ屋に入り、コーヒーを注文した。席に腰を下ろし、文庫本を開くと、先ほどの老人が杖を突いてやってきた。  私は空いている席を勧めたが老人は座らず、立ったまま私に向かって言った。 「私は三六五日ずっとこの辺にいる! 分からなくなったいつでも来なさい!」  私と老人の経緯を知らない周囲の客たちには、いきなり来た老人に私が大声で怒られているように見えたらしく、心配そうな視線が私に向けられた。  私は視線よりも、「三六五日ずっとこの辺」というところが気になった。  まさか帰る家がないのでは? と思ったが、「ただし四時まで」と補足があった。四時に家に帰るのだろう。ホッとした。  老人の自信に満ち溢れた姿と声の大きさに、私は老人のことを「師匠」と呼びたくなっていた。師匠は去った。と思ったら数メートル先のフードコートの席に着いた。まだ私の視界に入っていた。  去り際に師匠はこう言っていた。 「一攫千金を狙っちゃダメ!」  宝くじの根源的なところを突き崩す発言だな。晩年のニーチェもこういう感じだったのかもしれない。次の当選番号は「2525(ニコニコ)」らしいが、それから一度もくじを買っていない。

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