久遠の魔法使いの弟子
   出で立つ

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 木にもたれ掛かるように座り込んでいるロボに留めをさそうと魔物が近づいて来る。  息の根を止めようと首元に喰らいつこうとしてきた時、ようやく言葉を思い出した。 「トランスルーセント」  瞬間、自身の前に何か透明な物体が現れたような感覚がし、目の前まで迫って来ていた魔物の大きな手が、その透明な何かにぶつかるような音を立てて止まった。  魔物は急に現れた何かに自身の牙がぶつかったことに驚き、後ろに下がった。  目の前まで迫って来ていた危機が突然去ったので、ロボは忘れていた呼吸を再開し、荒い息遣いのまま、目の前に薄っすらと見えるそれに触れた。  それは固い材質だった。  触り心地的にガラスに似ている気がする。  光の加減で薄っすらと形を視認できるが、それは四角い正方形の形をしているように見える。  大きさは俺の頭ぐらいだろうか。  透明な物体は、時折ブルブルと震えて、その形を歪に変えていた。  何処か形が不安定に見える。  詠唱が間違っていたのだろうか。  透明な物体はロボの意のままに動かすことが出来るようで、右へ左へと動いた。  あれこれと模索していた時、魔物が土を踏む音で我に返った。  今はこんな事をしている場合ではない。  例え不完全な魔法でも、今この時をなんとか切り抜けなければ。  魔物はロボの不完全な魔法を前にして少し警戒したのか、唸り声を上げるばかりで飛び掛かってこようとはしなかった。  暫く尻尾を振りながらこちらを睨みつけ、背中のトゲをこちらに見せてきた。  何か嫌な予感がして後方へと下がろうとした瞬間、魔物は背中のトゲをこちらへと飛ばしてきた。  木の後ろに隠れる余裕はなく、ロボは無謀にも腕を前にして顔を守る姿勢を作り、一か八か叫んだ。 「守れ!」  ロボの声に呼応して、透明な物体は再びブルブルと震えだし、そして絨毯程の大きさに広がった。  広がったそれに幾つものトゲが刺さったが、ロボの方まで貫通してくることはギリギリなかった。  ロボの横を掠め、後ろの木へと直撃したトゲは貫通していた。  絨毯までに広がったそれに近付き、労わるように刺さったトゲを抜いてやると、即座に形を正方形へと戻し、幾つものヒビがはいった。  もうそう何度も使う事は出来ないのだと悟る。  透明な物体にヒビがはいったのを見て、魔物は好機だと思ったのか、翼を広げ今にも飛び掛かってきそうな姿勢をして見せた。  こちらを挑発しているのだろうか。  ロボは頭の中で必死にあの日アーロンが使っていた、目くらましの魔法を思い出そうとしていた。  このピンチを切り抜けられるとしたら、きっとあの魔法しかないと思ったのだ。  しかしいくら記憶を探っても、アーロンの唱えた詠唱が一文字も出てこない。  あの時はアーロンの背に居たので、きっと聞こえていた筈なのに。  思い出せ、早く。  再び魔物が背中のトゲを見せつけるような姿勢を取った。  またあの攻撃がくる、と思ったが、木すらも貫通するトゲを前に、木の後ろに身を隠しても仕方がない。  ロボの横でヒビが入った姿で尚もブルブルと震えている透明な物体をチラリと見て、 「頼む、もう一度だけ」  そう言って前へ出した。  魔物がトゲを放った瞬間、ロボはもう一度透明な物体に指示を出した。  絨毯までに広がったそれにトゲが刺さり、透明な物体はガラスが割れるときのような音を立てて砕けた。  両手で抱えなければ持てなさそうな大きさのトゲが目の前まで迫り、走馬灯のように時間がゆっくりと流れているのを感じ、ロボは死を覚悟した。  その時、遠くで聞き覚えのある鈴の音が、鳴ったような気がした。  刹那、稲妻のような光が目の前に現れ、眩しさで目を瞑った。  眼がチカチカとして暫く景色が白で覆われ、殆ど見えない。  死ぬ前の景色ってこんな感じなのか、とトゲが身体に刺さる衝撃に身を構えていると、顔をなにかふわりとしたものが撫でた感覚がして、まだあまり見えない目を凝らす。  少しずつ見えてきた景色から、自分の顔を撫でたのは、目の前に立つアーロンの長い金色の髪の毛だとわかった。  アーロンは大きく肩で息をし、手を膝に着いてなんとか立っているといった感じだった。  アーロンの大きな背中とローブで、前を見る事が出来ない。 「アーロン」  思わず名前を呼ぶと、アーロンはふらふらとしながら立ち上がり言った。 「座っていなさい」  いつも穏やかな口調で話すアーロンの口から出たとは思えないような、低く威圧感のある声に、ロボはその場に尻もちをつくようにしゃがみ込んだ。  アーロンは右手にはめた鈴のブレスレットをわざと鳴らし、杖を振りかざして見せた。  魔物はアーロンの一挙手一投足に気を張り、数歩後ずさりする。  深く息を吸い込んで、言葉を紡ぎ始めた時、魔物は自身の大きな翼を広げ、急ぎ足で飛び去って行った。  魔物の後ろ姿をぼんやりと見送っていると、アーロンがくるりとこちらを向いた。  しゃがみ込んでいるロボの所からは、髪に隠れてアーロンの表情が見られない。  なんとなく怒っている気がして、ロボは少し後ずさりしながら弁解を口にする。 「あ、アーロン、あの、その」  アーロンは無言でロボの方へと歩いて来ると、目の前に膝を着いてロボの事を強く抱きしめた。  あまりに強く抱きしめて来るので、息が苦しくなり抗議をしようとした時、アーロンの肩が震えているのに気が付いた。  耳元では鼻水を啜るような音も聞こえてくる。 「良かった……無事で本当に良かった……。姿が見えない事に気が付いた時は、本当に心臓が止まるかと思った……」  ぐちゃぐちゃに泣いているだろうアーロンの顔を見ないように、アーロンの背中を優しく叩きながら、「ごめん」とロボは謝った。

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