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 あくる日の夜、電源を入れると無事起動することができた。データがトんでいないことを確認し、胸を撫で下ろす。もうしばらくそっとしておいたほうがいい気もするけど、新着メッセージが2件入っていたのでそれだけ開いた。スマホの安否を心配してくれる松永くんに、なんとか復旧した旨を伝える短い文章を返信する。  もう1件はミッコからだった。 【先輩から返事がない。もしかしたら告白って思われてないのかも。  私、やっぱり正式に告白する】  うああああ! と自分の大声が部屋に響き、危うく手から落としそうになったスマホをぎゅっと固く握る。メッセージは今日の午前中に届いていた。私は高速でフリックする。 【ごめんスマホ水没して死んでた!!  ずっと応援してる、がんばろあ!!】  気が逸りすぎて最後の字を打ち間違えていると思ったけど、気づいた時には勢いのままに送信されていた。ガソリンを注がれたごとく、今、私の意欲も満タン以上にみなぎった。頑張ろう。ミッコも私も。  そして私の頑張りどきは、私の想定よりも少しだけ早く訪れることになる。  翌、日曜。午前練の帰り道、道の向かい側の文房具店から私服の松永くんが出てくるのを見かけた。  彼は野菜の飛び出すスーパーの袋を片手に提げていた。  目が、かちりと合った。  私は思わず駆け出していた!  松永くんに向かって、ではなく、彼から遠く遠く、離れるように。  まるで逃げるように、私はとにかく足をめちゃくちゃに動かし走った。頑張ろう、って決意を固めたばかりなのに。 「祐人、生クリーム買ってなぁい!」そう彼を下の名で呼び、同じように膨らんだビニール袋を片手に持った、年上風の女性が彼に寄り添う風景を、私は直視できなかった。  両足に鉛でも埋め込まれたみたいに、ひどく重たい。地球以外の重力まで受けているようだ。走るたびに心臓の薄い皮がベリベリと剥がれ落ち、今、少しでも触れられたら、きっと真っ赤な血が噴き出して止まらない。あああいたい、いたい、いたい……。 「はや……い、ね……」  無我夢中で走り切り立ち尽くしていると、声がした。  振り向くと、肩を激しく上下させ、ちょっと青い顔でぜえぜえ喉を鳴らす松永くんが立っていた。 「祐人、どうしたのぉ……」  松永くんより遅れて、息を切らした年上風の女性が両手に袋を下げ追いかけてきた。祐人、という響きの親密さに、胸が軋む。 「ごめん、行ってて」  松永くんは慣れた感じで彼女に言った。彼女は一瞬目を見開き、「おじさん、もうすぐうちに着くって!」そう言いにこりとして去っていった。その余裕ぶりがまた私の胸を痛くさせた。その短いやりとりだけで、関係性の濃さがわかってしまって辛かった。 「今日、弟の誕生日でさ。父さんは相変わらず仕事だったんだけど、なんとか都合つけて、今から帰れるみたいで」 「……彼女と仲いいんだね」  家族で過ごせてよかったね、くらい言えればいいのに、私は自分のことしか考えられなかった。その家族の中に彼女がいるのも悔しかった。こんな歪んだ顔見せられない。私はずっと俯いていた。 「あぁ、そうだね。いつも家のことを手伝いに来てもらって、すごく感謝してる。手間味噌だけど、本当にすごい従姉いとこだと思う」  天と地がひっくり返るような衝撃を受け、文字通り、頭が真っ白になってしまった。しかし鼓動はどくどくと走るから、停止していた思考もやがてゆっくり動き出す。  “実は姉でした”という線は前もって消していた。しかし、彼に姉がいないことと同じくらい、彼に従姉がいることもまたあり得る話なのに、どうして推察できなかったのだろう。 「青葉さん」  彼の声に、弾かれたように顔が上がる。 「わ」  思わず声が漏れた。彼にくいっと手首を引かれたからだ。 「ちょっと話したい」  彼がもう片方の手で向こう側の木陰にあるベンチを指した。むきだしのままの私の心臓は、とくんと甘苦しい音を立てる。私は黙って首を縦に振った。触れ合っている手は同じくらい熱い。  松永くんに手を引かれたまま、黙って歩く。緊張しすぎて、全身の筋がピーンと突っ張ってる。今話しかけられたら、絶対に声が上ずってしまう気がする。でも、今すぐ彼と話したい気もする。そんなことを考えていると、ポケットの中でスマホが振動した。緊張を紛らわすように、松永くんと触れ合っていないもう片方の手でスマホを見た。ミッコからだった。 「……シャ!」私はぎゅっとこぶしを握り締め、叫び出したくなる衝動をぐっと抑えた。けどちょっとこぼれた。  歓喜の衝動。メッセージを開かずとも、彼女の短い結果報告は通知画面だけで確認できた。  そっと手が離され、ベンチに隣り合わせて腰を下ろした。ふたりの間には、電車だったらギリギリ小学生が座れそうなくらいの絶妙な距離がある。手首にはまだ松永くんの体温が残っていて、熱く脈打つ。 「スマホ、大丈夫だった?」  松永くんが言った。 「あぁ、いやいや、その節はごめんね……」 「いやこっちこそ、急に呼び止めてごめん」 「ううん、でもなんで松永くん追いかけてきたの?」 「青葉さんとしっかり目が合ったのに、ぷいっと逸らされて、逃げられたから」 「だって……」  私は目を合わせられないまま呟く。木漏れ日が松永くんの黒いサンダルに反射して光っている。私服の松永くんに会ったのはあのライブハウス以来で、その新鮮さに今さらどきどきしてきた。  喉のあたりまで、伝えたい言葉はせり上がってきている。  心臓がひっきりなしに暴れ回る。  緊張しすぎて涙まで浮かんでくるから、それは必死に引っ込める。  無意識に詰めてしまう息をそっと逃がしながら、私は一心に勇気を練り上げていた。 「僕、この前浜辺で言えなかったから」 「あの、私、松永くんのことが、好きっ……!」  前歯の裏までこみ上げてた想いはもうとめられなくて、文脈を無視して、私は言葉を放ってしまった。間髪いれずに告白したせいで、松永くんは「言えなかったから」の最後の「ら」の口のかたちのまま、固まってしまっている。 「あ、ごめん、勝手に告白してしまって……。えっと、な、なんだっけ」  おずおずとそう訊くと、「ふ、ふふ……っ、はははは!」松永くんは右の手のひらをこちらに向けるかたちで口を隠し、声を上げて笑った。なんて稀な笑い方! と、また心の中で打上花火と爆竹を鳴らしときめいていると、彼がすとんと手を外した。 「青葉さんといるといつもとびきり新鮮で、本当に楽しい。ライブハウスで見かけた時、勇気を出して声をかけてほんとによかった。先に言われちゃったけど、僕は、青葉さんのことがとても好きだ」  体育祭で見た時から、と松永くんがにいっと、歯をむき出しにして笑った。とても素敵な笑い方だと思った。素敵すぎて、私の頬はいっぺんに火照り出す。しかも体育祭って一年の……?  純度100パーセントみたいなその笑い顔は、高校生よりもずっと少年のように見える。きれいに並ぶ歯列の奥でさりげなく主張している八重歯のせいか。 「八重歯あるんだね」 「あっ」  松永くんがハッと目を開きまた口を隠す。慌てている姿も可愛いじゃないですか。 「これ、あんまり好きじゃなくて」 「えぇ、すごくいいと思うけど」 「あやちゃんからよくからかわれてたから」 「あやちゃん……?」 「従姉、あやちゃん」  ふうん、私も「まどかちゃん」って呼ばれてみたいな、と顔で表現してみたけれど、気づいてもらえなかった。 「青葉さん」  でも、それはこれからのはなし。 「はいっ!」 「本、どこまで進んだ?」 「え? ええと、まだ金曜に話したところから先は読んでない。ちょっと、手紙とか書いてたから……」 「手紙?」 「うん。それはまた今度渡します」  うん? と彼はあまりピンときていない感じの顔をした。深夜に書くラブレターのテンションは異常、という古代からの言い伝えがあるけれど、おそらく私もそれに倣っている気がする。でも、書いたことは全て心の底から湧き出た紛れもない真実。きちんと渡したいと思う。 「本は、できれば早く読み終わってほしいかも。そこから先のトリックがまた面白いんだよ」  そう松永くんがにっこりとする。 「ごめん、読むのが遅くて! うん、わかった。本のこともたくさん話したいね」 「それもあるけど……青葉さん、休日はゆっくり小説を読んでるって前に話してたから。夏休みは、たくさん会いたい」  彼はそう呟き、左の口の端を少し下げるようにして笑った。頬は夏祭りのりんご飴みたいな色をしている。きっと、これが彼の照れ笑いなのだ。  ちょっとぎこちないその表情が、私の胸の甘い部分を熱く焦げつかせる。  その時、12時を告げるお昼のチャイムが流れ出した。爽やかな音楽が、私たちふたりを包み込むように漂っている。 「ナイスタイミングだね」浮かれた私がぽつりとこぼした。今、泣いちゃいそうなくらい素敵な気持ちだ。足元に転がる私の呟きを、松永くんはそっと拾い上げ、 「うん」  彼はまたぎこちない表情で照れて見せ、おかしそうに笑った。 了

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