サマースプリンター・ブルー
私とミッコとオスカル先輩

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 授業中、黒板に顔を向けながらも横目を駆使し、ちょうど生徒と生徒の隙間から見える松永くんを見つめた。彼は基本的に真面目にノートをとっていて、黒板を見てるのにもっと遠くを眺めているような、そのまっすぐな横顔に、私は密かに胸をときめかせていた。  また、彼はクセなのかよく自分の耳たぶを触る仕草を見せた。軽く首を傾げ、親指と人差し指ですりすりとさする。それを目にするたびに私は、ふふふと口の端をゆるませた。  彼の指が細長くきれいであるためか、その動作は、私にはどこか性的な魅力に感じられた。あんな風にすりすりと触れられたとしたら、とひとり想像しては勝手に耳を熱くさせるのだった。  そう一方的に見つめるばかりで、話しかけたい、と思ってもそれはなかなか叶えられなかった。  まずこんなに見つめていても、松永くんと目が合うなんてことは一切なく、それは私に対する関心のなさとも捉えられ、そう思うといつも足が固まり尻込んでしまった。自分でもおかしいくらい、彼に向かおうとすると、体が途端に動かなくなった。  ただ見ることしかできなかった。でも、「きっといつかは」と願いながら彼を想うだけで、あの頃の私は満足していたように思う。いや、満足しろと言い聞かせていたのかもしれない。  文化祭といえばフラグ乱立イベントのひとつであるけど、うちのクラス展示は手作りプラネタリウムで、材料が揃えば案外簡単に完成してしまったこともあり、準備期間も当日も、漫画みたいな特別な展開など起こることもなかった。  よって当日は、ミッコとふたりで書道部の展示を見て回った。「本当にうまいねぇ」隣でミッコがしみじみ呟く。「ほれぼれしますねぇ」松永くんの書をじっくり鑑賞しながら私はそう答える。ミッコには、彼への想いを打ち明けていた。  彼女とは幼稚園からの仲で、園生の時からふたりでよく遊び、その関係性のまま育ってきた。彼女はバドミントン部であり部活も異なるし、聴いてる音楽も被ったり被らなかったりするし、同じクラスになってもトイレに連れ添ったりはしない。でも私たちはいつもそばにいた。隣にミッコがいることは、もはや、白ご飯の横にお味噌汁があることくらい、私にとっては自然で落ち着くことだ。  ミッコは昔から大胆な性格で、「文化祭のノリで写真くらい撮ってこい!」と彼女に尻を叩かれ勇気をかき集めてみたけど(実際にぺしっと叩かれた!)、やはり自分のシャイさが上回ってしまい、一言も言葉を交わせないまま文化祭も過ぎていった。  話しかける度胸もないくせ、授業中、松永くんが板書するときはいつもひやひやした。私みたいに、あの整った字をきっかけに、彼自身に興味をしめす女子が現れるのではないか。瞳の奥に潜んでいる粛々とした光に気づき、惹かれてしまうのではないか。抗えない引力につかまってしまうのではないか。私みたいに。  そう気を揉むも、松永くんは依然として教室に淡く存在し、また彼の浮いた話が耳に入ってくることもなかった。などと安心している間に、ただ見つめるだけの毎日は季節とともにするする流れ去り、たちまち高校生活の一年を終えてしまった。  しかし二年生になった今。  ひょんなことをきっかけに、夏休みを目の前にして、私は松永くんとの距離を縮める機会を得ることになる!  文系の私は5組、理系の彼は1組。進級すると松永くんとはクラスが別れた。ゆえに廊下や職員室でたまに姿を見かけるくらいで、顔を合わせる機会はほとんどなくなってしまった。  はずだった。 「青葉さん」  だからあの時、久々に面と向かい、さらに彼のほうから声をかけてくれたものだから、私は口から心臓がまろび出てそのまま涅槃ねはんに至りかけるほど、軽く意識をトばした。つまり死ぬほど動揺したってことだ。  6月の最終週。私はひとり、好きなバンドのライブに行った。頬を熱くしたまま終演したライブハウスを出ると、松永くんのような横顔が見えた。  彼は立ち止まりスマホに目を落としていた。私も思わず足を止め、じっと目を凝らした。間違いないと思うけど、制服じゃない彼は、私服がシンプルなぶん大人びて見え、すぐに確信には至れなかった。凝視しているとちょうど彼が振り向き、「青葉さん」その薄い唇はふたたび私の名前をなぞったのだ。  月明かりだけが灯る駅までの道のりを、一緒に歩いた。ライブ、という新鮮な話題があったおかげで、手に汗握りながらもなんとかキャッチボールは続いた。久々に触れる彼の淡い存在感と、不思議な瞳の強さに、私はひどく胸を打ち震わせていた。  そして別れ際、 「あの、連絡先、交換しない……?」  勇気と時間を存分に使い、私はようやく彼のIDを訊いた。その場でメッセージを送りあい、ついに私のスマホに、“松永祐人まつながゆうと”の名前が追加されたのだ!    *   「えっ、まだメッセージのやりとりしてなかったの?!」  昼休み、中庭でお弁当を広げながらミッコが眉根を寄せた。松永くんと引き換えに、ミッコと同じクラスになれた。 「なに送ればいいかわかんないし、それにその後すぐ期末テストとかあったし……」  連絡先を交換したあの日から一週間近くが経つが、まだ一度もメッセージのやりとりは行われていなかった。しかし、廊下ですれ違う際には目が合うようになったし、「ドモ」って感じで軽く頭を下げ合うようにもなった。確実に前進はしているはずだ(きっと……!)。 「まどか、今日でテスト期間も終わりましたよ」 「そうだけど」 「そうだけど?」 「……趣味とか、休日なにしてるかとか、訊きたいことは色々あるけど、また失敗したくないもん」 「またって、中学時代の?」 「はい」  私が恋愛に慎重すぎるのも、中学時代の経験が起因しているのだと思う。  中二の冬。同じクラスの男の子に一目惚れだと告白をされ、人生で初めて彼氏ができた。みんなからコウちゃんと呼ばれていて、私もそう呼んでいた。コウちゃんは野球部で、私はほとんど話したことなくて彼のことをよく知らなかったけれど、彼氏というものにはこっそり憧れていたので、オッケーした。  目覚めたての思春期の心は、初めての彼氏にまんまと有頂天になった。休日はデートもした。周りに隠してるわけではなかったけど、教室内で堂々といちゃつくことは互いに遠慮し、代わりにメッセージのやりとりは毎日続いていた。  コウちゃんからの言葉が届くたびに心は浮き立ち、【おはよう!】【なにしてる?】【もう寝た?】などと、私は次第にとりとめのないメッセージを熱心に送信するようになった。彼が今なにをしているのか、なにを思っているのかを知りたいという純粋な気持ちだった。 【ごめん、寝てた】【スマホ見てなかった】だんだん返信が遅くなっていくのを感づきながらも、彼の言葉を額面通りに受け取った当時の私は「最近部活で疲れてるのかな」くらいに思っていた。やがて既読スルーが続くようになり、教室で湿っぽい目線を送りまくったのが決め手となったのか、 「ごめん、もっとサバサバしてる感じだと思ってたから……。ほんとごめん」  といった具合で、私はたった1ヶ月でフられた。これからあらゆるイベントを一緒に過ごす空想までしていたし、そのくらい好きになっていたので、フられたその日は部活をサボり家でとことん泣きじゃくった。 「まどかはクールに見られがちだけど、結構熱血派だもんねぇ」  卵焼きを口にしながら、ミッコがさらりと言う。その通りだ。私は基本おとなしくしているが、夢中になるととことんのめりこんでしまう性格で、陳腐な言い回しだけど、まるで周りが見えなくなってしまうところがある。それはもう、自分でも取り扱いに手を焼くほど。  ということもあり、松永くんにもっと近づきたいという想いと、一方で、また一心不乱に踏み込みすぎて相手をうんざりさせてしまうのではという恐れが、現在ぐるぐるに絡み合っているという心模様である。 「んー。誰が悪いとかじゃなくて、たしかにあの時はふたりともうまく噛み合ってなかったかもしれない。でも、まどかがそれを失敗って思ってるんならきっと成功のもとだし、今度は同じ展開にはならないはず」  ミッコが長い髪をひとつに束ねながら言う。ミッコが言うともっともらしく聞こえてくるのは、彼女がモテるのを知っているからだろうか。  ミッコはモデルみたいな美人とは異なるが、幼な顔で、きれいな二重まぶたをきゅっと細める彼女の笑顔は最高に甘い。立ち居振る舞いも品良く、またおっとりした見た目の聞き上手でありながら、言動ははっきりしており、クラスで目立つ派手なタイプではないが、彼女に想いを寄せる男子は昔から少なくない。 「あ、ていうかミッコは、オスカル先輩とはどうなの」 「ははは、私も人のことあれこれ言えないよ。とくに進展はないっ。でも今朝も校門前で追い越すときにあいさつしたら、眠たそうに頷いてくれた」  そうミッコがふにゃんと顔をゆるませた。  オスカル先輩、というのは一学年上の先輩で、今ミッコが心底好意を寄せている人だ。  去年、ミッコとバルコニーでおしゃべりをしていた際にたまたま見かけたのだけど、ゆるく波打つ髪は肩につかないギリギリあたりまで伸び、長い睫毛まつげに縁取られた目と高い鼻が印象的な、彫りの深い顔立ちの先輩。「岩崎」と先生に呼び止められていたのですぐに先輩の名前を把握できたのだけど、 「『ベルサイユのばら』にでてきそうな顔立ちだ」  私がぽつりと呟くと、 「オスカル先輩だ」  とミッコも続き、以来私たちは陰ながらその名前で呼んでいる。いわゆる男前のたぐいである。  精巧な顔のつくりだな……と私が驚いている隣で、ミッコはずっと「ぽー」っとしていた。 「私、オスカル先輩のバイト先を知ってしまった」  と、ミッコが突然言ってきたときは驚いた。どうやら放課後、オスカル先輩の姿を見かけたミッコはこっそりあとを追い、バイト先のドラッグストアまでたどり着いたらしい。 「え、好きなの??」 「なんか、ずっと気になっちゃって……」  そう泣きそうな顔をするミッコに、私は思わずきゅんとしてしまった。オスカル先輩の風貌に一目惚れしてしまうのは理解できる。でもミッコがそういう風に、直感的に、誰かに惹かれるのはとても珍しいことで、本人すら戸惑っているようだった。 「けど絶対彼女いるよねぇ。あぁ、やっぱり気になるっ。女バドの先輩に訊いちゃお」  ひとつ気持ちをこぼすとするすると本音が溢れてきたようで、その言葉通り、部活の休憩中「岩崎先輩って、やっぱり人気ですか」、ミッコは仲のいい先輩に探りをいれたのだけど、 「あー、気になってんの? まぁ1周、いや5周くらい回って、人気っちゃ人気かもだけど」  そうあまりピンとこない答えが返ってきたそう。「えっ、なんでそんなに遠回りしちゃうんですか」と疑問に思ったミッコは、それからオスカル先輩の詳しい話を聞くことになる。そして、彼のずいぶん変わった性格が明らかになるのだった。  ここからは、私がミッコ伝いで耳にした断片的なエピソード。  まず、私が「お、おう……」と戸惑った話のひとつは、そのお強めなナルシズムについて。  オスカル先輩は自身の顔のかっこよさをしっかり自覚されているようで、 「all right?(キメ顔)」  というのが口癖で、「それで構いませんか?」という意味だけど、くっと顎を引いて指を差す仕草までがセットだという。いや構いますわ、そんな乙女ゲームのイケメンキャラかぶれみたいなこと、実際やる人がいるんだとぽかんとしてしまった。  もちろん鏡があれば必ず自分の姿をチェックするのも欠かさないし、廊下の窓ガラスに向かってかっこつけた顔を作るオスカル先輩の姿は、今や先輩たちの階では日常風景と化しているらしい。  また、好きなタイプを訊かれれば、 「自分にいい影響を与えてくれる女性(キメ顔)」  というのが彼の常套句で、尋ねた女子は反応に困り、「へぇ……」で会話が終わってしまう。オスカル先輩が言う「いい影響」ってどういうものなんだろう。というか、それほど個性の濃い人は、ちょっとやそっとじゃ誰かの影響など受けない気もするけど。  私が目を丸くした珍話は、まだある。  通学途中、森林公園沿いの道で発見したアゲハチョウの幼虫を葉に乗せ登校し、「自然に戻せ」と先生に叱られると、彼は外に逃がすフリをしてそのまま早退し、うちに連れ帰ってしまったらしい(のちにオスカル先輩がかなりの虫マニアであることが発覚したそう)。  そういった自由奔放すぎる性癖の数々は、男子にはめっぽううけ、よく絡まれることとなり、女子はというと「お、おう……」と夢から醒めたみたいに正気になり、目覚めかけていた恋心も冷めさせてしまったのだという。  しかし、オスカル先輩は確かに浮いた存在であっても、孤立しているというわけでなく、その奇想天外なキャラクターは、今やコミカルな方向性で支持を得ているそうだ。  そういった話を聞き、「なんてクセの強い人……」と私は呆気にとられたものだけど、ミッコは「めちゃめちゃイききってるよね。なんか、自分のスタイルを確立してるっていうか、ある種の芯の強さを感じる」と、甘い夢の中にいるような目をするのだった。ミッコはむしろ、彼の風変わりなエピソードに恍惚こうこつとしている風なのである。「イききってるけど、型破りすぎでは」と私は思ったのだけど、ミッコがあまりに嬉しそうにするので言わなかった。  ミッコはモテるが、実は彼女自身が心を動かされることはこれまで少なく、恋人ができてもあまり長続きした試しがない。そのミッコが「なんか、知るほど気になっちゃう」そう頬を染めるのだ。  ミッコと同じように、オスカル先輩に色めき立つ後輩は多かったが、彼の内情が知れてくると、みんなやはり「お、お(以下略)」という反応を見せ、「目の保養だね」みたいな扱いで、オスカル先輩に言い寄る者は現れなかった。    ミッコがすごいのは、先輩のバイト先にさりげなく通い、全く接点がないにもかかわらず自分から話しかけたりできるところである。今では校内ですれ違うとあいさつをしたり、時には短いおしゃべりをする間柄になっている。  そうやって着実に歩み寄っていたミッコだが、しかし、彼女は今ちょっと焦っている。  どうやら最近、オスカル先輩はある女性グループと一緒にいるところをよく目撃されている。  その女性たちというのが、オスカル先輩と同じ三年生の、それぞれ派手な髪色と濃いメイクが目立つ、強めのギャルであるのだ。  ミッコの独自調査によると、ギャル先輩たちがお揃いで施していた“虫ネイル”(チョウや昆虫のイラストを描いたネイルアート)に、オスカル先輩がたいそう感銘を受け、「なかなかいい趣味だね」と声をかけたことがきっかけだそう。「普通に、いいねと言えばいいのに」と私はモヤモヤしたけど、明るくノリのいいギャル先輩らは「わかってんじゃん」といった調子で、それ以来親しくなった、と。    お弁当を食べながら、ミッコがスマホに目を落としTwitterをチェックしている。『岩崎虫図鑑』という名のアカウントは、最近ミッコが本人から聞き出した、オスカル先輩の虫アカウントらしい。私もミッコから見せてもらったのだけど、基本的に発見した虫の写真をアップしていて、5枚に1枚は自撮り写真が載せられている。現状、虫の写真より本人の写真のほうが「いいね」が多くついている模様。フォロー0に対し、フォロワー約100人、というのはすごいと思うけど、それよりも、自己紹介欄に一言書かれている「フリースタイル」という文言と、私服のほとんどが胸元のはだけたシャツを着ているのがどうしてもモヤる。 「先輩、夏休みとかどう過ごすんだろう。ギャルの先輩たちと遊ぶのかなぁ」 「ミッコ、アゲハチョウ採りとか誘えば? オスカル先輩、アゲハチョウ好きなんでしょ」 「そうだねぇ。先輩となら虫捕りでもなんでもいいな。でもアゲハチョウの話題出すとなんかいじってるみたいじゃない? 先輩、ちょっと拗ねやすいところもあるから、むすっとされちゃうかも。でも、それはそれで微笑ましい気もする」  ミッコがうっとりした顔で言う。オスカル先輩はまあ、世俗にまみれてないというか、ブレないというか、あるがままに生きられる正直な人だとも言えるけど、しかし私の心にはなかなか良さが響いてこない。別にそれでいいんですけど。 「は」と「へ」の間みたいな声で間延びした相槌を打ちながら、チャイムが鳴る前に空のお弁当箱をさっさと片付けた。  そしてちょうどこの夜、あろうことか、彼からメッセージが届くのだった。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません