サマースプリンター・ブルー
甘酸っぱいシェイク

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 夜、スマホのロック画面が初めて“松永祐人”の名前を表示すると、私は音速でメッセージを開いた。 【MV観た? すごい https://youtu.be/ …】  URLに飛ばなくとも、私はすぐにピンときた。先週ライブハウスで観たバンドのMVの話だ。数十分前に突然動画公開の通知が届き、私もすぐさまチェックしたし、今も絶賛鑑賞中だった。  彼らの人気曲「夏の重力」と、島の高校生たちの青春群像劇を描いた漫画「まどろむ教室」が動画の中で重なり合うMV。ボーカルが以前よりその漫画のファンを公言しており、それがきっかけで私も読者のひとりとなった。淡くみずみずしい男女の情感や、将来への葛藤を描く物語に惹かれ、今では自分もすっかりファンだ。  漫画のエモーショナルなシーンのコラージュと、好きな楽曲が連動したMVに、私はまさに童女のごとく手を叩き歓喜していた。 【今も観てたよ! すごくハマっててかっこいい(グッド)  漫画も好きだから嬉しい】  短い文面を数回読み返し、やっぱり最後に“!”を付け足して送信する。スタンプも送るか、迷う。スタンプって、「自分はこういう趣味をしてます」という主張みたいで、選ぶ指に迷いが生じる。ミッコとは付き合いが長いぶん、互いに好き勝手送りあえるのだけど、今このタイミングで彼に送る一番適切なスタンプはどれか、と考えあぐねている間に、返信がきた。 【僕も読んでる。面白いよね】  という文面の後に、ゆるい柴犬のスタンプが飛んできた。思いがけず可愛らしい絵柄のスタンプに口元がにやけ、胸が甘やかな音を立てる。 「YES! 」と描かれた、きっと同じ路線にいるであろうゆるい動物のスタンプを、私はそっと送り返した。  しばらく漫画の話題でやりとりは続き、やがて漫画から本の話に移っていく中で、松永くんが図書委員を務めていることを知った。私は読書の習慣がほとんどないうえ、図書室は別棟の3階にあり(書道室がある棟だ)、なかなか行く機会もなく初めて知り得た情報だった。  画面上でのふきだしのキャッチボールも、1時間が経過しようとしていた。引き際を見極め、私は深く息を吐きながら、本日最後の一手となる文面を叩き打った。 【今度図書室に行った時、よかったらおすすめの本を教えてほしいな】    翌日の昼休み、私は早々に図書室を訪れていた。週に一度、昼休みと放課後にカウンター業務を担当することになっているらしく、松永くんの担当するのは火曜。メッセージのやりとりをしたまさに次の日だった。1週間後まで待つのが良いか悩んだけど、「いいよ、勢いあるうちに行こう!」というミッコの助言を得て、乱打しまくる鼓動の音を落ち着かせ、私はひとり図書室に足を踏み入れた。  扉を開けると、“図書室のにおい”がふわりと鼻先を撫でた。紙のにおいか、インクのものか。古本屋にも同じ独特の香りを感じる。そんなことを思いながら、入り口に設置されている本棚を見た。 「今月のおすすめ図書」というポップがついていて、表紙が見えるような形でいくつか並べられている。知らないタイトルばかりだなと肩を力ませながらも、一冊見覚えのある本があり(いつか休日のお昼の情報番組で特集されていた)、少しほっとした。読書が苦手というわけではないけど、私は絵や映像がついてるほうが頭に入ってきやすく、そういったメディアばかりを選んでしまう。馴染みのないせいか、本だらけの静かな空間に少々緊張している。  奥に進んでいくとカウンターがあって、松永くんはその中にいた。  彼が私に気づく。「図書室では静かに!」という表の張り紙を思い出し、私は小さく頭だけ下げた。  カウンターから音もなく出てきた彼は、ついてきて、という風にこちらを見るとすたすた歩きだした。閲覧席にいる生徒はまばらで、ほとんどが顔を伏して居眠りをしていた。その間をすり抜けながら、私は足音と心音をひそめ彼についていく。 「ミステリーが好きって言ってたから。自分の好きなものになるけど」  彼は声を落としそう言うと、本棚から一冊引き抜き渡してくれた。文庫本なのに、参考書くらい分厚いそれは、私の手のひらにずっしり沈みこむ。 「ありがとう。読んだことない」 「おすすめです」 「受け取りました」 「はい、じゃあカウンターに」  彼は儀礼的に微笑むと、すっときびすを返しカウンターに向かった。私もまたトテトテと後を追い、貸し出しの手続きをしてもらった。  カウンターの中にはもうひとり女子生徒がいた。彼女は同じ図書委員として、松永くんとヒソヒソ話をしたり微笑みあったりしているのかと想像しかけて、頭を軽く振った。こんなところで妬いたって仕方ない。しかし、委員会にはさっぱり関心がなく、委員決めのときも居眠りをこいていたことを今さら悔やむ。奇跡でも起きて、図書委員になれてたらよかったのに。 「はい、貸し出し期限は2週間です」  松永くんは言い、またにこりとして本を差し出した。私は受け取った途端、「ヤッター! 松永くんおすすめの本!」とふたたび高揚し、胸のうちのモヤなど華麗に吹き飛ばしてしまった。声をひそめ再度お礼を言い、すっかり浮かれた気持ちで図書室を出た。  放課後、校舎の外周を走りながら、 “足が、軽い!”  喜びで大きく膨らんだ心が叫ぶ。昼休み以降、私の胸はウキウキとはしゃぎっぱなしで、それは部活中も継続されていた。  うちの高校の周りは傾斜が多く、外周はあまり得意じゃない。けれど、いつもふくらはぎにビキビキとクる上り坂を、息を乱さず颯爽さっそうと駆けている私に、私が驚く。向こうに広がる海は、空の色をそのまま浸したみたいに青い。きれいだ。  幼い頃から走るのが好きで、それだけの理由で中高と陸上を続けてきた。特別速いわけでなく、大会に残るような記録を持つ選手でもない。でも、走ると無条件に気持ちが良くなれるから走る。苦手なメニューも嫌いな筋トレもあるけど走る。何にもない日々の退屈を切り裂くように走る。  今、その何にもない日々が変わりはじめている気がする。いつもと同じ景色が、不思議なくらい色濃く見える。いや、松永くんと初めて話したあの時からその兆候はあったのかもしれない。でも胸の中で想いを壁打ちし続けることに一生懸命で、空やら景色やらにまで目を向けられていなかった。 「ふあぁ〜」  下り坂の風が首筋の汗を飛ばし、爽快だ。木々の緑は太陽の光を浴びて、キラキラ透明なベールをまとい踊っている。  ステップを踏むみたいに地面を蹴り、私は残りの道を走りまくった。  夜ご飯を済ませると、部屋にこもって今日借りた本を広げた。大学の推理小説研究会のメンバーが一週間、孤島の奇妙な館で過ごす話。館は十角形の不思議な形状をしており、その造りを理解していないと物語についていけないので、頭の中で必死に平面図を描き、頑張って読む。こんがらがりながらも、松永くんとの新たな話題を探すために、頑張って読む。    *  週末の土曜。午前練を終えると、バド部の練習を終えたミッコと待ち合わせをして、高校近くのマックに寄った。  目の前がガラス張りになっているカウンター席に腰を下ろし、シェイクで乾杯をする。 「まどかサン、めちゃめちゃ踏み出してますねぇ」 「いえいえそれほどでも」 「本屋デートなんかも遠くないのでは」  ミッコが「ひゅう〜」と唇を突き出し、指先でつまんだポテトの先っぽでハートを描いている。私はミッコのノリのよさがとても好きだ。どうぞ、とそのまま差し出され、私は揚げたてのポテトをぱくりとした。油のしみたカロリーの味が、脳を幸福物質で満たしていく。  ちょうど第一章までを読み終えたところで彼にメッセージを送ってみたり、ささやかながらも、通信上のやりとりも順調に続いている。  けれど、 「でも純粋に、親切心で本を紹介してくれただけだと思うんだよね。なんていうか、松永くんってこう……誰にでも等しく人当たりいいぶん、掴みどころがないというか」  これは謙遜でもなく、紛れもない本心だ。  松永くんはよく、唇の端をかすかに上げた淡い笑みをたたえている。それが彼の穏やかな存在感を形成しているのだけど、あえて裏を返せば、その微笑以外の表情をあまり知らない。つまり、喜怒哀楽、といった感情の差し引きが全く見えてこないのだ。  これは彼を見つめていただけの頃から思っていたことで、接することでよりそれを顕著に感じる。面と向かい合い、松永くんが何を思い、何を考えているのか、と小さい脳みそで思案するも、彼の微笑は全てを曖昧にさせる不思議さがあり、逃げ水のように掴めない。  きっと悪い印象は持たれていないはずだと信じてはいるけど、その微笑みは、「これ以上は僕に踏み込んでこないでくださいね」と牽制されているようにも、正直感じなくもないのだ。 「あぁ、なんとなくわかる……かな? 私は直接話したことないから完全に見た感じだけど、どこか達観してるというか」 「うん。なんか、修行僧みたいに落ち着いてる。私なんて煩悩や欲望だらけですよ。でも、また共通の話題が増えたし、もう少し頑張って仲良くなりたい」 「よっしゃー! 頑張ろうっ」  シェイクを吸いながら鼓舞しあっていると、「あのねぇー」ミッコが窓の外をぼんやり眺めながら言った。  「実は……今ね、私がオスカル先輩の“好きなタイプ”の女性に当てはまるのか、判断中なんだって」 「えぇっ?」  仰天した。つい先日、「ギャル先輩たちと仲良くなった!」と報告を受けたときも同じようにびっくりしたけど、それ以上に驚いた。ギャルの先輩に関しては、ミッコとオスカル先輩が話している際に介入があったらしく、ミッコは内心ひやひやしていたのだけど、オスカル先輩が去ったあと、「岩崎のこと好きなの?」と囁かれ、さらに背筋に緊張が走ったという。素直に頷いたミッコは、「ヤバ、相当変わってんね〜!」と朗らかに言われ、なにやら応援される運びにまでなったそうだ。「岩崎は変わっててウケるけど、彼女とかできたらどんな感じに進化するのか気になるし」と言うギャル先輩らの言葉と笑顔に、ミッコは緊張が解けたのもあり、ちょっと泣いてしまった、と。 「この間、好きなタイプってどんな人ですか? って訊いたの。知ってたけど。そしたらやっぱり知ってる回答が返ってきて」 「あの、『いい影響を与えてくれる女性(キメ顔)』みたいなやつ?」 「そー。ていうか、キメ顔全然似てない!」 「うそー?」 「まあそれで、じゃあ私は当てはまりますかって、思い切って言ったの。そしたら、『判断しよう』って。だから、返事待ちって感じですな」 「また反応に困る言い方するなぁ……」 「私はすごく嬉しいよ〜! 当てはまれたらいいけど」  ミッコは目を輝かせこぶしを握った。ミッコなら他にもいい人がいそうとも思うけど、なんだかオスカル先輩でなければならないような気もしていた。  私はある過去の記憶を思い出していた。中学生の頃、私は一時期恋愛シミュレーションゲームアプリに熱中していて、登場する男性キャラクターの多様性とその魅力について、ミッコにプレゼンをしたのだけど、「私だったらこの人かな」と、さして興味もなさそうなミッコが選んだのは、“トンチキな発言が印象的な、ちょっとズレた不思議系イケメン☆”というような肩書きのキャラだった。もちろん、それがイコールオスカル先輩につながるわけではないけど、もしかしたら彼女は“出会ってしまった”のかもしれない。  オスカル先輩は多少イッてるところこそあるが、なんというか、ここまでくればうまくいくといいなと私は心から応援している。  シェイクが空になるまでおしゃべりをして、私たちは店を出、電車に乗り込み帰宅した。カラオケに誘われたけど、本の続きを読むため断りをいれ、私はベッドにダイブし、三章の続きをぺらりとめくった。

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