井上の旅行準備は急速に進んでいった。 旅行の企画に参加すると答えてから3日も経たないうちに、どこへ行くのか決め、準備するものを男に伝え、ご丁寧に旅行のしおりまで作るという気合いの入れようである。 「この旅行で私、先生の親友になるんです!」 紙に印刷されたしおりを男に渡しながら、井上は言った。 「いや、だから僕達は編集と……」 「親友になるんです!」 唇を尖らせて言う井上は、男の胸をときめかせるには充分だった。 ふてくされる様子も、かわいい。 何かの気まぐれで、親友以上にならないだろうか。 「そうだ、旅行に行くんだったらお土産リストも作らないと」 男の想いは、お土産リストに邪魔され、井上には届かなかった。 「そりゃさ、お前、襲っちまえよ」 男にも、一応友人と呼べる存在が1人はいた。 その友人は、男の目の前でスマートフォンを操作しながらそう言った。 「皆岸じゃないんだから、できるわけないだろ」 男は、そう言ってペットボトルに入ったお茶を流し込んだ。 皆岸と呼ばれた男は、顔を上げる。 「高校生とかじゃないんだからさ、いいんじゃないの」 「それは……その、なんていうかさ、違う……」 男のひ弱な声は、店内放送でかき消された。 ここは、男の第2の職場、スーパーの従業員休憩室である。 漫画家として生活ができればいいものの、まだ入りたての男にそんな選択肢が与えられるはずもない。スーパーの品出しをしつつ、漫画を描いているのだ。 目の前にいるのは、同じく品出し担当の皆岸だ。 中性的な顔立ちをしている皆岸は、このスーパーの女性従業員達にとってのアイドル的存在になっている。 ただし中身は、酒・パチンコ・競馬に溺れたギャンブラーで、女癖も悪い。 外見はアイドルだが、内面はアイドルとは真逆の男なのだ。 一見接点がなさそうな2人だが、読んでいる漫画雑誌が一緒で、さらに好きな漫画も合うため、話すようになった。今では休みの日に出かけることもある。 「その編集さんと1発関係持っちゃえばさ、その子も意識しちゃうかもよ?俺がそうだった」 皆岸は、そう言うと右手でピースをしてみせる。 「だから皆岸の場合、僕とは違うじゃないか」 ため息をつきながら、男はテーブルに肘をつく。 「皆岸はさ、男の僕からしてもかっこいいしさ、なんでもこなすし」 「でも、今日、山本に荷台当てたよ」 皆岸はピースをした人差し指と中指をカニのように動かす。 「入りたての頃なんて、めちゃくちゃ商品落としたし。完璧なんかじゃない。山本と何が違うの?」 そう言われて、男は回答に詰まる。 「そう言われたら、違いなんてないのかな」 その時、皆岸のスマートフォンが着信を知らせる。 「あ、もしもし?みーちゃん元気してた?俺も会いたかったよ。今、みーちゃんのこと考えてたもん。ホントホント」 そう言いながら席を立ち、男に向かって手を振ると、休憩室を出ていった。 「やっぱり、皆岸と僕は違うや」 男はぽつりと呟くと、半分残っていたお茶を、無理やり流し込んだ。
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