男は3杯の丼を空にし、ラーメン屋を後にした。 お金を使ってしまったな、と考えてしまったが食べてしまったものは仕方ない。 代金を気持ちよく支払い、空を見上げた。 透き通るように青く、美しい。 スケッチしてもいいかもな。 幸い、筆記用具と小さなスケッチブックは持ち歩いていた。 男は公園を目指した。 アパートに住み始めて5年が経つ。この近くに小さな公園があるのは知っていた。 無心で歩き、1分程度で到着する。 滑り台と小さなジャングルジム。後、トイレとベンチが3つ程。猫の額くらいの面積だから仕方ないだろう。 住宅街だから無理やり作りましたと言わんばかりの公園だが、子供が5人程遊具で遊んでいた。 1人、目に付いた少年をモデルに、描き始める。 どうやら鬼ごっこをしているようで、少年達は声を出しながらジャングルジムの前で走り回る。 まずは背景。そして少年を描く。 描き進めるうちに、男は気づいた。 モデルとして選んだ少年が、今は亡き、親友に似ていると。 男は心の中で悪態をつく。確かに昔のことを思い出したが、描かなくてもいいじゃないか。 なんで似た子を選んでしまったんだ。 男の心境とは裏腹に、手の動きは進んでいる。 ここまで書いてしまったし、せっかくだから完成させようじゃないか。 親友の面影を振り払うように、一心不乱に鉛筆を走らせた。 額から汗が吹き出し、目に入る。思わず目を閉じた。 「なぁ、やまちゃん」 黒い視界の中、親友の声が聞こえた気がした。 男のことを、そのように呼ぶ人物は親友以外にいない。 「絶対、有名な漫画家になろうな」 それは、昔交わした約束だった。 男は目を開く。黒かった視界が鮮やかになっていく。 「やまちゃん!先にいくよ!」 男がモデルにした子が、トイレから出てきた子に声を掛けていた。 「そうだぞ山下―、早くしろよ!」 一緒に遊んでいた子だろうか、他の子供もトイレから出てきた子に声を掛けている。 男は苦笑した。空耳ではなく、実際にあだ名が聞こえていたらしい。 山違いだが。 「――先生、山本先生!」 聞き覚えのある声がして、声がした方を向く。 いつの間にか、息を切らした井上が後ろに立っていた。 「先生。なんで泣いてるんですか」 目を丸くして、井上は男を見つめた。 「え?」 「頬が濡れてます……。なにか辛いことあったんですか?誰かに泣かされましたか?」 「いや、これ汗だけど」 「あああ、すみません!」 慌てふためきながら、井上は頭を下げる。 それを見て笑いながら、男は話を切り出した。 「辛いことは今じゃなくて、昔あったんです」 「なるほど……」 2人はベンチに並んで座り、男は昔の話をした。 「だから、旅行には行きたくないんです。思い出しちゃうし」 「だったら!」 井上は勢いよく立ち上がる。あまりにも勢いが良く、男の心臓は飛び跳ねた。 「私は絶対死にません!帰るまで旅行で、五体満足で帰って、絶対に先生の漫画を世に広めます!」 男は井上を見つめることしか出来なかった。 この言葉を、僕は信じてもいいのだろうか。 この子は、僕の過去を消そうとしてくれている。 僕を、有名にしてくれようとしている。 冷静に考えて、絶対なんてない。それは分かっている。けれど、縋ってもいいかもしれない。 太陽は唯一無二だが、でも、同じくらい眩しい。 「じゃあ、電車はやめてくださいね。よろしくお願いします」 「はいっ!任せてください!」 「今日はすみません、家を飛び出してしまって。ご心配おかけしました」 アパートに戻りながら、男は頭を下げた。 「大丈夫ですよ。好きですから心配もします!」 先程とは違うベクトルで、男の心臓は飛び跳ねた。 その笑顔は反則だ。ときめいてしまうじゃないか。 落ち着くんだ。これは僕に言ってるんじゃない。彼女は僕の漫画が好きなんだ。 僕じゃない。 この子はいつも僕の心に錯覚を起こすんだ。 「今日から私、先生の親友ですよ!」 やはりこうなる。男は肩を落とした。この子に恋愛感情を期待してはいけないかもしれない。 「気持ちだけ受け取っておきます。僕達、編集と漫画家だし」 「あー、確かにそうですね」 屈託のない笑顔を向けられる。 これ以上肩を落とすことは出来ないんだが、どうしてくれるんだろう。 足取りが軽い影と、足取りが思い影は、並んで歩いた。
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