編集と僕。
知らないこと

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仕事が終わった。本来なら家に帰って、すぐ漫画を描く作業に入るはずだった。 だが今日の男は、自室のベッドに寝転がり、照明を見つめている。 色々と考えたいことがあったこともある。しかしそれはオマケ程度のものだった。 チャイムが鳴る。男は足早に玄関へ向かう。 玄関を開けるとそこには、来客が待っていた。 「山本おつかれー」 ドアの前に立っているのは珍しく井上ではない。皆岸である。 「ユキちゃんにドタキャンされちゃったから助かった」 まるで自分の家のように、我が物顔で入り込む。 男も慣れている。何も言わず通路を譲り、ドアの鍵を閉めると、皆岸の後を追う。 「明日が給料日だけど、一昨日定期が切れちゃってさ。昨日は女の家に転がり込めたんだけど、今日はだめだったわ。あ、これ俺の生命線あげる」 皆岸から、どこかの国の言葉が書いてあるビスケットを受け取る。 「ご飯は食べたの?」 「いや?なんかちょうだい」 皆岸は行儀よく、机の前に座っている。動く気はないらしい。 「ビスケットじゃ割に合わないな」 「じゃあ俺が恋愛指導するからさ。はらへったー!ハンバーグ食べたい!」 「子供か」 苦笑しながら、男は冷蔵庫を開く。 いざという時の為に買っていたハンバーグがあったはずだ。幸い、2つ分残っていた。 ハンバーグを皿に乗せ、電子レンジで調理する。 手際よく食器を出して、ご飯をよそう。ご飯の上に鮭フレークを乗せて、お行儀よく待っている皆岸の前に出した。 「やった!しゃけフレーク俺好き!覚えててくれたの?」 皆岸は満面の笑みで男を見つめる。僕は女の子じゃないんだが。そんな笑顔向けられても困るんだが。もしや、これは皆岸の素の性格なのだろうか。 チン、と音を鳴らし、電子レンジが温めを終えた。皆岸はそれを無言で見つめ、男に訴えかける。 「そんなに見つめるくらいなら取りに行けばいいのに」 「やだ。俺しゃけフレークご飯見るのに忙しいから」 今度は鮭フレークが乗ったお茶碗を眺めている。そこまで魅力的なのかは分からないが、とにかく取りに行く気はないらしい。 男はしぶしぶ電子レンジから皿を取り出し、箸と一緒に置いた。 「いただきます!」 皆岸は合掌した後、食べ始めた。 男も、合掌をして、食事を始めた。 男が半分食べたところで、皆岸は手を合わせていた。 「ごちそうさまでした!」 そこまで空腹だったのだろうか。男も食べるペースを早める。 「あ、気にしなくていいよ。ゆっくりで」 皆岸は、ニコニコしながら、自分の食べた皿をシンクへと持って行く。 「ありがとう」 「その間、俺は山本大先生の未発表の新作読んどくから」 「それはやめて」 データが入っているパソコンに、ちゃんと鍵を付けていてよかったと、ハンバーグを口に入れながら男は考えていた。 2人ともシャワーを浴び、パジャマに着替えた。皆岸は、男のクローゼットから、男の私服と新品のパンツを見繕い着ていた。 皆岸はベッドに横になり、男は机の前に座った。 「さて、お泊まり会恒例の恋バナに移りますか」 皆岸は目を輝かせている。 「女子会みたいな流れだな」 「嫌なら枕投げする?」 「いや、恋バナでいい」 「でさ、その編集ちゃんは彼氏いないの?」 皆岸は男に訊ねる。 「知らない。そんな話できないから」 「ふーん。今いないとしてもすぐ出来ちゃうよ?」 「そんなこと言われても」 「俺、取っちゃうよ?」 目を爛々と輝かせながら皆岸は笑みを浮かべる。その顔は獲物を目にした肉食獣のようだった。 「やめろ」 男の語気が強くなる。 「冗談だよ。さすがに友達が狙ってる女は取らないって。後がめんどくさいし」 「冗談に聞こえない」 「今ん所女増やす気ないから」 「ずっとそんな気持ちでいてくれ」 男の言葉を最後に、2人とも黙り込んでしまう。しばらく黙っていたが、皆岸が口を開いた。 「そういえばさ、あのカメラどうなった?」 「カメラ?」 「そうそう。あのカメラ」 「あ、あれか」 男は思い出した。 一週間前、皆岸が男の家に来た時、パチンコの景品で貰ったペン型のカメラを持ってきた。 これで心霊が写った動画を撮りたいと言い出し、男が先にデータを見ること、心霊動画が写っていなかった場合は、男の手でデータを削除することを条件に、動画を撮ることを許可したのだ。 「撮影できたかな?俺取ってくる」 皆岸はベッドから起き上がり、本棚へと移動する。食事の時もそうやって動けばいいのに、と男は思いながら後ろ姿を見ていた。 手にカメラを持って、皆岸は戻ってきた。 見た目はただのペンだ。動画が撮れるとは思えない。そのペン型カメラを男に手渡す。 「じゃあさ、俺寝てるから、データ見ててよ」 じゃあおやすみ、と男に手を振り、皆岸は目を閉じた。 カメラをパソコンに繋ぎながら、男は自分の過ちに気づいてしまった。 皆岸が来たのは一週間前だ。つまり、一週間分の動画を見なければならない。 断っておけば良かった。 実際見てみると、映像は解析度が低く、見れたものではなかった。パチンコの景品だからそんなものだろう。男は安堵し、動画の再生時間の部分をスクロールし、プレビューを確認した。時折人影は見えるものの、人物を特定するなんて無理だ。 再生時間が終わる少し前でスクロールを止め、データを消そうとした。そこで思いとどまり、動画を再生してみる。 『先生どこに――』 『近く……』 どうやら、あの家を飛び出した日らしい。少し再生時間を進める。 『傍にいて下さいよ。好きなんですから』 聞いた覚えのない、井上の言葉が流れた。 聞きたくなかった。

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