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錯覚とは怖いものである。2本の横棒はどちらも同じ長さにも関わらず、横にどのような線が付くかによって長さが変わって見えてくる。 まさに、今の状態は錯覚なのだ。 男は椅子に座り頭を抱えていた。 目を大きく見開き、見ているのは、机に置いたスマホの画面だ。 いや、正確に言うとスマホに映る文字列だった。 「正直に言います。会いたいです。今の気持ちを伝えたいです」 ううっ、とうめき声を出しながら男は机に突っ伏す。 勘違いするな僕。これは編集からのメールだ。 編集の井上は確かに女性だ。女性がこんな文章を送ってくるということは、恋愛感情を抱いているのでは? などと考えてはいけないのだ。 僕に会いたい理由など、ネームの進捗が知りたいからに決まっている。メールが来る少し前に完成しているが、締切は昨日だった。早く貰いたいからこんなことを言っているんだ。 「ネームは切れています。アパートに来てください」 錯覚だ錯覚だと自分に言い聞かせながら、男はメールを送った。 男がゆっくりと背もたれに背中を預ける瞬間を待っていたかのように、チャイムが鳴った。 ビクッと身体を震わせ、男は椅子から立ち上がる。息を整えながら、お世辞にも長いとは言えない、玄関への道を歩いていく。 「先生!」 男がドアを開けると、まだ幼さの残る顔立ちの女性が立っていた。オフィスカジュアルに分類される系統の服を着ているが、まだ服に着られてる印象を男は受けていた。 「先生の作品に出てくる街に行ったんです! イラスト通りの閑静な街並みで! 主人公達は甘酸っぱい恋をしていたんだなぁって思うと興奮が収まらなくて! なんであの街を選んだか教えてくださいよ!」 男はため息をついた。 そうだ、僕の編集はこんな子だったんだ。 「錯覚ならいいのに」 「なんですー?」 ポツリと呟いた男の声は、あどけない笑顔の編集には届かなかった。 「いや、なんでもないです」 どうぞ、と男は編集を部屋へ招き入れた。

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