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翌朝、村の大広場に設られたステージの、隣に建てられたテントに勇者は居た。 いつもの勇者の鎧に、さらに色取り取りの煌びやかな飾り帯が幾重にも飾られた式典用の装いで、来賓用の椅子の中でも、一際大きな椅子へ腰掛けている。 甲冑を身につけたままのリンデルには、そのまま掛けて十分な大きさのものが用意されていた。 リンデルは、手の平大の小さな紙に、小さな字でびっしり書かれたメモを時折チラと見ながら、口の中でぶつぶつと挨拶の内容を唱えている。 その斜め後ろに立つ従者は、主人のそんな珍しい姿に、勇者に就任したばかりの頃の、初々しい少年の横顔を思い出していた。 初めの頃は、確かにこうして、毎回緊張しつつも必死で挨拶をしていたはずだ。 それがいつからだろうか。 人前で話すことに慣れてきたのか、内容は大体覚えているからと、緩やかに構えるようになったのは。 それで大きくミスをすると言うことも無かったので、ロッソもあまり煩くは言わなかったが、本来ならこのくらい誠心誠意をもって公務に励んでいただきたいものだと思う。 リンデルに残された勇者としての時間は残すところあと二年。 勇者の名に縛られ続ける、長く苦しい十五年間のはずだった。 ロッソは、初めからそのつもりで覚悟をしていた。 なのに、蓋を開けてみれば、彼はよく泣きもするが、同じくらいによく笑う。 元隊長が負傷から引退した後は、しばらく不安定な時期もあったが、それもあの男に会って、すっかり落ち着いた。 毎日を溌剌と、勇者として胸を張って生きる主人の元で、ロッソは人生の中で初めての心穏やかな時を過ごしていた。 戦いはいつでも死と隣合わせではあったが、それでも、この人の側で死ねるなら、この人のために死ねるなら、ロッソはそれが一番の幸せであるような気がしていた。 セリフの暗記に余念がない勇者と、それを熱の篭った視線で見守る従者。 カースが覗いたのは、そんな場面だった。 時折、村の重役がリンデルに話しかけ、挨拶を交わしているようだが、そんな姿も、カースにはまた遠くの存在に思える。 広場を囲むようにぐるりと出された出店では既に営業が始まっていたが、広場の大看板に張り出されていたプログラムを見る限り、リンデルの挨拶まではまだ時間がありそうだ。 広場に背を向け、一度自宅に戻ろうとしたカースは、あの男の好物だった焼き饅頭の屋台を目にしてしまう。 思わず足が止まると、脳裏にあの男が饅頭を頬張る姿が浮かんだ。 あの男は、顔に似合わず甘いものが好きだった。 そんなに食うと身体に障るぞ、と注意する俺の言葉なんかちっとも気にせず、バクバクとよく食べた。 一度動きを止めてしまった足は、中々言うことを聞いてくれない。 仕方なく、カースは焼き饅頭を2つ買うと、人混みを抜けて墓へと向かった。 墓と言っても、協会の裏手でもなければ、共同墓地でもない。 ただ林の端に、目印がわりの石が積んであるだけだった。 そこにあの男は眠っていた。 穴を掘ったのも、そこへ寝かせたのも、土をかけたのも俺だ。 あいつがここに眠っていることを知っているのも、もう俺だけだった。 カースは積まれた石の上に饅頭をひとつ供えて、祈るでもなく、ただ墓を見下ろしていた。 嫌なやつだった。それは間違いない。 あいつのせいで、いつだってどこか痛かった。 人でなしの酷いやつだ。 ……それでも、あいつが恩人であることもまた、間違いのない事実だった。 いつの間にか降り出してきた雪が、ひらりと鼻先に舞い降りて、カースは首を縮めると墓に背を向けた。 振り返るとそこには、あの勇者の側にいつもいるはずの小柄な従者がいた。 「……なんだお前。あいつを放っといていいのか?」 カースは、小さく肩を揺らしてしまった事実を無かった事にして、なんでもない風に尋ねた。 「祭りの間は、勇者隊から腕の立つ者が警護にあたっています」 ロッソはカースをまっすぐ見て答える。 むしろ、祭りの間だからこそ、勇者の側を離れることができた。 この男と二人で話せるのは、今しかなかった。 「……俺に、なんの用だ」 男から若干の警戒を感じて、ロッソが丁寧に礼をする。 「あなたと話せたらと……思ったまでです」 ロッソはそう言って微笑んだが、ピリッとした空気は変わらず二人の間にあった。 沈黙の中、従者は内心ため息をついた。 遠回しに言ったところで警戒が強まるだけだろう。 ここは単刀直入に切り出す方が良さそうだ。 そう判断して、口を開く。 「あなたは、ゴルラッドの方だったのですね」 男は一瞬目を見開いて、すぐに伏せた。 酷く顰められた眉が、地を見つめている。 とうの昔に捨てた名だった。 あの消えてしまった国と同じ名は、あの日、国と一緒に消えたはずだった。 消えて無くなって、もう、誰にも呼ばれなくなって久しかったのに。 「……よく分かったな…………」 絞り出すようにそう答えた男の、纏う気配が、ゆらりと揺れて重くなる。 「それを知って、どうするつもりだ」 チリッと、殺気のようなものが肌に触れ、ロッソは思わず半歩後退る。 「また、あいつに近付くなとでも言う気か」 暗く低く、唸るような声。 「そうではありませんっ」 ロッソは慌てて叫んだ。 「そうではなく……。ただ、私は、お名前をなんとかしていただければと……」 ロッソが自らの悪手に後悔を滲ませながら、カースへ必死で訴える。 その名は、この男にとって決して触れてはいけない部分だったのだ。と今さら気付く。 「……名前?」 カースの全身から溢れた澱みが、じわりと薄まる。 「ええ、その……『カース』では人前で、その……」 つまりは、従者としては『呪い』を指す単語を、光の象徴である勇者に度々口にしてほしくないと言うだけの話だった。 「俺の事は、好きに呼んでくれればいい」 カースは暗い影を霧散させ、ぞんざいに答える。 ロッソは、以前にもこの男にそう言われていた。 けれど、そう言われたところで、人の名などつけたこともないこの従者に「じゃあこう呼びましょう」と言うのは土台無理な話だった。 「……っ、ですが……」 本当に、心底困ったと言うような顔の従者を見て、男はやっと気が付く。 この生真面目そうな従者は、もしかしたら、友達にあだ名すらつけたことがないのかも知れない。 相手の良いようにと委ねたつもりだったが、この従者にそう言ってしまうのは酷なことだったのか。 理解した男が、立ち尽くしてしまった従者の小さな背を励ますようにトンと叩いた。 「!?」 従者が、いつの間に距離を詰められていたのかと、驚愕の表情で見上げる。 そんな顔を見下ろして、カースはほんの少し口元を緩める。 「困らせて悪かった。俺もすぐには思いつかん、が、決めておこう」 森の色をした瞳が、優しくロッソを見ている。 それに気付いて、ロッソは息が詰まりそうになる。 「……あ、ありがとう、ございます……」 礼を言うのが精一杯という様子の小柄な男の頭を、カースはすれ違いざまにひと撫でして慰める。 カースはそのまま数歩進んでから、足を止めた。 振り返らずに告げる。 「もう、俺のことは詮索するなよ」 背後で従者が息を呑む音がした。 「はい、決して……」 その言葉にカースはひとつ頷いて、振り返らないまま、墓を後にした。

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