またも擬音だった。 ザっ、ザッ、と草薙の耳元で音が聞こえる。と同時に何やら顔面に粒状の物がふり掛かっている感触も覚える。さらには自分が直立状態になっている事も。 砂? 土? をかけられている……それに立った状態で埋められている? 覚束ない正気の中ではあるが、草薙は何とか頭を横に振って、今の状態を把握しようとした。 どうやら自分は首だけを出したまま土中に埋められていて、それも二メートルはありそうな深い穴の下。顔の周りは土の壁で覆われている。それに後頭部に痛感があり出血もしているようだ……そして、どうも自ら埋まっている穴の上から、土がふり掛かってきている。 刹那、草薙は夢うつつな状態になっていたが、すぐに土を顔面に受けている不快感で確実に目が覚め、 「プっ、プっ、プっ!」 と口に入った土砂や砂利を吐き出した。 すると、 「あれ? まだ生きていたんすか」 その一言と同時に土がふってくる事が止まった。草薙は目にかかる土砂を顔から振って払いのけ、何とか上の状況を確認しようとした。どうやらシャベルを持った人影がバックの月光をもって見える。 まだ生きていたんすか。 その言葉の声音は聞き覚えがある。そう思い草薙は目を凝らして上空を見上げると、 「あ!」 と叫び、上にいる人間を確認した。 その人間とは同じバイト先の後輩の同僚のバイト仲間である香取正広(かとりまさひろ)であった。 香取はジャージ姿で、 「チュース、先輩」 と軽口をたたく程度もそこそこにそう言って、手持ちのシャベルを足元の地面に刺した。 「な、何で君が?」 完全に顔面以外土に陥没されている草薙は、全くもって身動きできない状態で質問すると、香取は面倒臭そうに頭をポリポリと掻きながら、 「何だよ、もう。一発じゃ死ななかったじゃん、バールちゃんよお。ニュースじゃよくバールのようなモノって言ってるから、ようなモンじゃなく本物のバールを買って後頭部をぶん殴ったのにさ……あ、じゃあ、折角、草薙さんが生きてるんで、冥途の土産ってヤツですか、ああ、そうそう、後で殺すんで覚悟しといて下さい。それはそれとして、かいつまんで説明しますよ。まず例の殺人鬼みたいのと電話相手は俺です。電話の方は少し声を低くして変えてましたけどね。案外、ヤバい状況だからってのもあるかも知れないんですけどバレないもんすね。兎に角、一人二役してたんすよ。だから最初は俺も草薙さんを追って電話してたんすよ。なかなか走りながら呼吸を乱さず会話するってのはシンドイもんすね、やっぱ。ま、俺は一応今回の為にある程度ジョギングして体づくりはしてたんで、息も乱さずランをカマせましたけど。んで、草薙さんが自転車を乗ってからはタクシー移動。そして、□△森林道に先回りして待機。つまりは草薙さんをどうにか人気のない場所まで誘導するために一連の指示は出していたんですよ。途中で気づかれるかなあ、と思ってたんすけど、その辺は俺の口八丁と、草薙さんのパニくり具合でバレませんでしたね。そして、□△森林道に着いた後は草薙さんが、俺が隠れているポイントに来て、俺はバコンと一発バールでぶん殴って死んでもらって、俺の考えた完全犯罪ゴッコの計画は終了ってはずだったんですがね。生きてるんですもん、草薙さん。そりゃ、ダメですよお」 と薄ら笑いを浮かべながら草薙を睥睨して喋る。 無論、草薙は香取の言っている事がほとんど理解できない。だが、自分が置かれている危険な状況と、どうやら香取が何の理由からかは分からないが、これから自分を殺そうとしているのはギリギリ判断できた。 草薙は混乱する頭の中、何とか数多に浮かぶ疑問をチョイスして、 「ち、ちょっと、待ってくれ? 君は僕を殺そうとしているのか」 「そうですね」 「何故? 僕は君に何か恨まれるような事をしたか? それ以前にバイト以外にほとんど接点なんてないじゃないか。せいぜいお互いの携帯の番号を知ってるぐらいで、バイトの変更とかの電話ぐらいしか会話した記憶はない」 「だからですよ」 「は?」 「俺は草薙さんに何の恨みもないし、何の交際もない。言わばほとんど他人だ。バイト先が一緒という以外はね。んで、俺、思ったんすけど、こういう距離感の関係なら、人殺しの完全犯罪って出来るんじゃないかって」 「は、は、はあ?」 草薙が一人プチパニック状態に陥っている合間に、香取はやはり厄介そうな表情になりしばらく口をつぐんだ。草薙はその間に口を半開きにしながら首が動く範囲でやにわに周りを見てみた。すると今まで気づかなかったが、先ほどまで駆けていた自転車が自分の顔の真横に多少の間隔を空けて置いてあった。 「自転車?」 不意に発した草薙の一言を察した香取は、 「あ、そうだ」 と言ってジャージのポケットから携帯電話を出して、草薙の埋まっている穴に投げ入れた。 さらに 「それって飛ばし携帯ってヤツです。他人になりすまして架空の名義で使える、まあ、合法的とはいえるかどうか分からないけど、とりあえずそれ使って草薙さんとは連絡してたからアシはつかないと思うんですけどね」 「い、一体全体どういう事なんだ!」 「ホント、鈍いなあ、草薙さんはぁ。だから俺はゲーム感覚で殺人完全犯罪をしてるんですよ。しかも今がクライマックス。そのゲームの選ばれしターゲットが草薙さんだった、という事です」 恬淡にいちいち草薙の質問に答える香取だが、徐々に草薙は香取の説明が理解出来てきた。 と同時に、狂ってる、とも。 草薙は焦思と冷や汗とともに怒号に近い声を上げる。 「き、君は僕を殺そうとしているのかっ!」 「あ、もう、あんまり大きな声をあげないで下さいよ。そうは言ってもまずこの時間にここまで□△森林道に深く入り込めば、誰にも気づかれはしないんですけどね。何度もリサーチしたんで。完全にに人気がいなくなる時刻を。そう、本当に事前準備が大変だったんですから。この穴だって掘るのにどれだけ労力と時間を費やしたか。一応はバレないように完成するまではブルーシート掛けて、その上に軽く土を撒いて。その穴にある自転車も実費ですからね。なかなかの出費ですよ、経済的に。あ、それとここがミソなんですけど、我ながら賢いと思うんですが、この計画を実行する直前にピザを頼んで受け取ったんですよ」 「ピザ?」 「つまり、俺のアリバイ作りです。これから俺は草薙さんを、ま、草薙さんからすれば無念かも知れませんが、草薙さんは死んじゃうんで、やっぱ急に草薙さんが姿を消したら警察とかも動き出すと思うんですよ。その時の保険ですね。どうやら草薙氏が行方不明になった時間に俺は何処にいたか? はい、俺はその時間はピザを食べながらテレビを見てました。それはピザ屋のデリバリーの人に確かめて下さいっていう証言。あ、念のためにテレビもこの時間帯にやっている番組を録画して帰ったら見て、信憑性を持たせるためにさり気なく話す予定ではありますけど、あんまり多弁になりすぎると怪しまれるんで、そこは要注意で、聞かれた事以外は話すことはないというスタンスでいきます、ハイ」 「あ、ああ、き、君は狂ってるよ!」 「それは言いっこなしですよお。まあ、イイじゃないっすか。塩梅が良かったんすよ、俺と草薙さんのほとんど空気みたいな関係が。だから、何でしょうかね、この適度な無関係性なら誰にも怪しまれずに俺が草薙さんを殺してもバレないんじゃね、という発想が生まれましてね、ハイ」 「君はゲーム感覚で、その、完全犯罪の殺人とやらを……いや、もはやそれ以前の問題で……そうだ。君は本当にこの計画が成功すると思っているのか?」 「そうですねえ、四割方は成功しそうな気もしますけど、日本の警察も優秀ですからねえ。何処で俺がイモを引くかは分からないっすから。ただバレたらそん時はそん時ですよ。青春や人生は一度切りじゃないですか。ケッコー、俺的にはこの完全犯罪殺人ゲームはかなりのエンタメなんで、マイライフ賭けちゃってもアリかなあ、みたいな。でも、途中で面白かったなあ。何か草薙さんって哲学的な事を言い出すんですもん。社会の縮図がどうだかとか、選ばれた存在とか。選ばれたって、そりゃ単に俺が殺しの目標に選んだだけであって、何か変な運命論か宿命論じみた誇大妄想も草薙さん、語ってましたよね。人ってヤバい状況に陥ると何か発想の飛躍というか思考破裂しちゃうんですかね。もう、爆笑を我慢するのに必死でしたよ。あのパチスロしか興味ないダメ人間が何をホザいているんだよって」 「な、何を言ってるんだ! ふざけるな! 本当に僕は生まれ変わったと思っていたんだぞ。今までの無気力な自分から脱却して、自己がまさに人間革命を起こしたと。そ、それを君は騙して踏みにじって無下にした。何て残酷な奴なんだ! 僕に浴びせられた一線の生きる希望の光を遮った」 「キャハハ、何をほざいているんですか、草薙さん。イカれたシチュエーションだから、それにターボがかかって頭のネジがぶっ飛びましたか。寝言にも程がある。俺にってか、今回の俺のプロジェクトに関わってしまって洗脳でもされちまいましたか。カルト野郎になってますよ、カルト。アハハハ」 草薙からすれば普段からチャラい印象はあった香取だが、ここまでふてぶてしく非常識な態度は、少なくともバイトをしている最中は窺えなかった。しかし、今の香取の状態は草薙には自分の言動以上に、香取の所作の方が完全な変質者、狂人に映る。 僕は知らず知らずのうちに、何も気づかないでこんな人間と仕事をしていたのか? と草薙は慙愧の念に近い思いを抱き、自分自身の人選と審美眼の弱さを悔いた。 一方、ヘラヘラとまるで薬物依存者のような口調で中腰になって話す香取。その内容は草薙をからかい卑下するようなさわりもあった。だが、今の草薙にはもはやそのような侮蔑の言葉にも反応できる感情は無かった。 駄目だ。もうこの男には言葉は通じない。 草薙はそう悟っただけだった。そして、弱々しい声で香取に尋ねた。 「ぼ、僕をやはり殺すのか?」 「イエス、です。だけど安心して下さい。俺は生き埋めなんて苦しくて酷い殺し方はしませんから。この折角買ったバールで草薙さんの頭を殴りまくって殺してから埋めます。良かった。まだミニ梯子は手元にあって、そっちの穴に捨ててなかったんで、ちゃんと草薙さんの所まで降りられますよ。シャベル以外は今回計画に使った物は全部草薙さんと一緒に埋めちゃうんで、ハイ」 そのように滑舌よく香取は告げると手際良く梯子をセットして草薙の元に降り、何の言葉をかける事もなくバールのようなモノではない本物のバールを大きく振りかぶった。 その土壇場、草薙は吠えた。 「よせえっ!」 だが、その一言は虚しく十五夜の夜空の下に響いただけで、草薙の言葉の抵抗虚しくなすがままに香取の攻撃を受け、香取は草薙の頭蓋骨を破壊し脳漿が飛び出すまで殴り続け、顔面そのものも鼻骨をグシャグシャニに砕き血まみれにして、少なくとも性別不明の状態なるほどの面構えに変形させ、草薙を絶命させた。 「一応、念には念を入れないとな。中途半端に生きていて生き埋めなんていう、残酷で苦悶の死になっては可哀そうだからね」 そう香取は呟くと、俺って優しいな、という思いを自らに抱くと同時に、いやあ、イイ汗かいたなあ、とある種の達成感を覚え、最後の一撃として、渾身の力を込めてバールを変わり果てた草薙の顔面に及ぶ頭頂に叩きつけた。 草薙拓哉は無残にも絶命した。 草薙拓哉にとっては畢生の疾走であり逃走であり、自らの存在意義をも賭けた到達地へ向かう所業であった。 その到達地、目的地に草薙は一抹の期待を胸の内に秘めていた。辿り着く事により草薙の真たる望むべく精神の欲した結果は、今や命果てた彼が故に分からない。 ただ、草薙が曖昧模糊として思案していた、何かが待っている、という推し量りである解答の最重要ワードの、何か、は言わずもがな、草薙自身が体現して見せたようだった。 了
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