コヒガンザクラが咲く頃に
第1章 千鶴  1 

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 変な女に会った。  バイトが終わり、国分町こくぶんちょうを出て、人通りのない一番町いちばんちょう商店街のシャッターが下りた銀行の柱の影で、たばこを吸っていた時のことだ。  その日は店でトラブルがあり、それが落ち着いてから閉店後の片づけを始めたせいで、退勤の時間がいつもより遅くなってしまった。あと一時間もしたら、夜が白み始めるだろう。  そろそろ帰ろうかとたばこを消したところで、遠くから少し乱れたヒールの音が近づいてくるのに気付いた。  俺が働く国分町は仙台の、いや東北一の歓楽街だ。仙台の市街地を南北に貫く国分町通を中心に、たくさんの飲食店や風俗店が集まっている。昼間は買い物客が行き交う一番町が静まり返るのと入れ違いに、昼間はひっそりしていた国分町が、不夜城のように輝き出す。   しばらくするとその国分町側から、一番町商店街の通りに、靴音の主らしい若い女がひょっこりと姿を現した。  高いヒールの靴を履くのに慣れていないようで、歩き方が不格好だ。安っぽいミニのワンピースに、これも安っぽいコートを羽織って、露出した足はきれいだったがちょっとけばけばしいラメのストッキングを履いていた。  テレビドラマに出てきそうな、いかにも水商売という出で立ちなのが、かえってまだこの世界に入って日が浅いことを露呈させていた。  肩より少し長いブラウンの髪は、自分で染めたのかムラになっていて貧相だ。この商売で生き残っていく女は、こういうところにこそ気を配る。  酔っているのだろう、ご機嫌な感じで鼻歌を歌いながら銀行の脇を通って商店街を横切っていく。すぐそばの柱の影に俺が立ち、見ていることにも気づかない。  女は、デパートの角にある神社の前に立つと、その鳥居をくぐった。  神社といっても、別の市に本宮がある小さな分霊社ぶんれいしゃで、鳥居は人が一人か二人くぐるのがやっと、数歩も歩けば小さな祠がある。  祠の前に立った女は、バッグから何かを取り出した。そしてバッグを敷石に置くと、周りをうかがうように見て誰もいないのを確かめてから、その取り出したものを祠の前に置いて、二礼二拍手すると何事かうなり始めた。  それがしばらく続き、やっと気が済んだのか一礼すると、バッグを持って鳥居を出て、デパートの本館と別館の間の細い道へとよたよたと消えて行った。  女の姿が見えなくなるのを見送ってから、俺はつい好奇心にかられて女が何を置いていったのか見に行った。祠には、ラップで包まれた握り飯が一個供えられていた。 「兄ちゃん、それ、俺にくれ」  急に背後から声をかけられて驚いて振り向くと、初老のホームレスが鳥居の所に立っていた。かなり年季の入ったホームレスで、離れていても匂ってきそうだ。  そいつが遠慮なく鳥居をくぐって迫ってくるので、俺が思わず横に飛び退く。すると、ホームレスはさっき女が置いて行ったばかりの握り飯を取ってラップをはずすし貪りついた。 「いいのかよ」  俺は責めるように言った。 「それ、お供物だぞ」  するとホームレスは食べるのを止めて、「どうせ朝になったら、カラスに食われるんだからな」と開き直った。  ホームレスはあっという間に握り飯を食べ終えると、満足げな顔で商店街の先の定禅寺通じょうぜんじどおりの方へ去って行った。定禅寺通を渡った先にある勾当台公園こうとうだいこうえんで野宿しているのだろう。  それからも、たまに同じ時間に銀行の影でたばこを吸っていると、女がやってきては人目がないのを確かめ、握り飯を供えて何事か長いことうなり、女が去るとすぐにホームレスが現れてそれを取って食べるという光景が繰り返された。  ある時、女が何をそんなに熱心に祈っているのか気になって、俺は神社側、デパートの柱の影に立ってみた。女はいつものようにやってきて握り飯を供えると、二礼二拍手してうなり始めた。 「おばあちゃんが元気で幸せでいますように。お母さんと、ついでにお父さんも元気で幸せでいますように。マキちゃんとタカユキはまあそこそこ幸せならいいです。でもマキちゃんの赤ちゃんは無事生まれていますように――」  そう何度も何度も繰り返し、祈り続けていた。  俺は吹き出しそうになるのをこらえた。お供え物が握り飯一つの割に、欲張りすぎていた。その上、「ついでに」とか、「まあそこそこ」とか、人によって願いに差があるのが面白い。  近くから女の横顔を見ると、色白で目の大きな可愛い女の子だった。  しかし、全体的に垢抜けていない感じがするのは否めない。化粧も下手だ。仕事終わりというのもあってか、マスカラやアイラインが崩れて、目がパンダみたいになっていた。   二十歳そこそこか、仙台からさらに北の田舎から出てきたばかりなのが一目でわかった。ただし、胸もしっかりあるし、スタイルもいい。ここの水に慣れれば、まあまあ指名が入るキャバ嬢ぐらいにはなれるだろう。  国分町で生まれて、十代半ばにはいくつかの店に出入りしていた俺は、最初は垢抜けなかった女の子たちが、まるでさなぎが蝶に変わるように美しく変貌していく姿を何人も見てきた。  磨かれて、しっかり稼いで夢をかなえる子、堅気の男に見染められ結婚して街を出ていく子がいる一方で、男を見る目がなくて貢いでは捨てられるというのを繰り返す子や、ホストに狂ってどんどん堕ちていき、風俗で働いて有り金全部ホストに貢ぐ子もいた。  さて、この子はどっちの道を歩くことになるのだろうか……。  それからしばらく、俺はバイトのシフトが変わり、女のこともホームレスのこともすっかり忘れてしまっていた。  

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