コヒガンザクラが咲く頃に
第2章 ナオキ 1

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 変な男の人に会った。  仙台に来て、ガールズバー『ピンキーキャット』で働きはじめて間もない頃のことだ。  その人の名はナオキといった。苗字はわからない。お店のお姉さんも、マスターも、ただナオキと呼んでいた。  私より五つは年上だろうと思い、出会った当初は「ナオキさん」と呼んでいた。(でも、あとで聞いたら二十二歳で、私とは二つしか離れていなかった!)  ある時、「ナオキでいーよ。〝さん〟とか付けられると気色悪い」と言われて、それから私もナオキと呼ぶようになった。  ナオキはお店に来ても私たちの前には座らず、マスターとばかりしゃべっていた。だから、てっきりお店のスカウトか送迎係かと思い込んでいた。  でも、違った。昔からのマスターの知り合いで、ときどきマスターに何か頼まれているみたいだった。  そのナオキが、私にだけはなぜかとても意地悪だ。私がお客さんに付いていない時、ナオキにお酒を出したりすると、 「化粧が濃すぎ。目がパンダになってる。化粧のしかたを考えろ」 「不器用が自分で髪を染めるな。美容院に行けないなら、黒髪の方がまだまし」 「服が似合ってない。短ければいいってもんじゃない。ほかの子を見てもっと研究しろ」 「歩き方が変。ドタドタ歩くな」 と毎回、何かしらダメ出ししてくる。  マスターが、「ナオキは千鶴ちゃんには手厳しいな」と苦笑いするほどだ。  なんで私にだけとすごく悔しくて、先輩のお姉さんたちにお化粧を習い、仲良しになった同僚の子とショッピングに行って、なるべく安くて、でも自分に似合う服を探してみた。  そうしたら、少しずつ私目当てに来てくれるお客さんが増えてきた。  悔しいけれど、これってナオキのおかげなのかな……。  でも、外見が良くなっても、まだまだナオキのダメ出しは続いている。 「酒の出し方が乱暴」 「灰皿の交換が遅い」 「訛りが出てる」 と、キリがない。  青森を飛び出して仙台に来てすぐは、水商売なんてするつもりはなかった。  青森では地元の会社の経理部にいたから、同じような仕事を探せたらと考えていた。  けれども、高卒で一年にも満たない職歴しかない私に、震災後の混乱が抜けない仙台で、経理や事務の仕事なんて見つかるわけがなかった。  とりあえず、コンビニのアルバイトを見つけて働き始めた。  仙台に来たその日に、大学進学で仙台にいた高校の友達の結衣ゆいちゃんに連絡して、彼女のワンルームマンションに二か月だけという約束で居候させてもらっていた。  結衣ちゃんは田舎の友達が突然転がり込んできたのに、嫌な顔ひとつせずに置いてくれた。  結衣ちゃんには、同じ大学の先輩で、自宅通学の彼がいた。  私がいると、結衣ちゃんは彼を部屋に泊められない。そのことで彼が機嫌を損ねて、結衣ちゃんは私と彼の間で板挟みになっていたようだ。  それでも結衣ちゃんは、「気にしないでね。いつまででもいていいんだからね」と言ってくれた。  一度だけ、夕方、結衣ちゃんが留守の時に彼が訪ねてきた。 「すぐ帰るから部屋で待っててと、結衣に言われてるから」と言って、部屋に上がってきた。  もともと、彼は自分の着替えを結衣ちゃんの部屋に置いていて、半同棲のような感じで出入りしていた。だから、そう言われて私が断ることなんてできなかった。  でも、結衣ちゃんはなかなか帰ってこない。  夜になって二人っきりが気まずくなり、私が出かけようとしたら、急に腕をつかまれた。そして、無理やりキスされそうになった。  もちろん、きっぱり拒否して外に逃げた。ああ、なんで男の人は皆、彼女を裏切るようなことを……って本当にがっかりした。  でも、このことは結衣ちゃんには絶対に言えない。こんなことがもう二度と起こらないよう、早く自立しなければと思った。  自分の貯金が少しと、家を出る時にこっそりおばあちゃんが持たせてくれたへそくりがあった。  それらを使えば、安いアパートを借り、電化製品や家具を中古で揃えて、なんとか新生活はスタートできるはずだ。  でも、毎月の家賃を払って生活していくには、コンビニのアルバトだけではすぐ行き詰まるのは目に見えていた。  暗い道を行く当てもなくとぼとぼと歩いていると、コンビニのお客さんにばったり会った。  その人はキャバクラに勤めているとてもきれいなお姉さんで、麗華れいかさんと言った。  出勤前や仕事帰りにコンビニに寄ってくれるので、少しずつ言葉を交わすようになっていた。  麗華さんは今にも泣きそうな私を心配して、近くのカフェで話を聞いてくれた。  「抵抗があるかもしれないけれど、水商売はどう? ガールズバーならカウンター越しの接客で素人でも始めやすいし、頑張ればひとり暮らしもできると思うわよ」  そう教えてくれ、マスターが元同僚でとても信頼できる人だからと、『ピンキーキャット』を紹介してくれた。  震災復興で仙台には東京や全国各地から人が集まってきていて、国分町はにぎわっていた。  すぐにお店に話が通り、翌々日にはマスターの面接を受け体験入店して、その翌日から働き始めることになった。  昼職のコンビニと両立すれば、月々の家賃を払って自活できる目途が立った。  宮町みやまちの古いアパートを借りて、なんとか結衣ちゃんのマンションから自立した。  でも、始めてみたら、いろいろ難しい。  ガールズバーはカウンター越しの接客だから、ボディタッチされる危険が少ないと聞いていた。  けれども実際に働き出したら、手を握ってきたり、キスしようとしたり、見送りの時にお尻を触ってくるお客さんはいて、完全に安全とは言えなかった。  そういうのを、さりげなく上手にかわすというのが、私には難しかった。  キャバクラと違って時給が安い分、長い時間働いて、指名をもらい、シャンパンやショットドリンクを注文してもらい、たくさん奢ってもらってバック料金で稼がなければならない。  でも、そのためにはお得意さんを増やさなきゃならないし、お酒も強くならなければならない。  今の目標は、昼職を辞めてガールズバーだけで食べていけるようになることだけど、私は水商売にはつくづく向いていないと思う。  ナオキにダメ出しされるたびに、その思いは強まっていく……。

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