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 現れたのは、あの初老のホームレスだった。  千鶴はホームレスの汚さや匂いに臆することなく、まるで友達に会ったみたいに嬉しそうに駆け寄って行った。 「お握りはもうないよ。せっかくお供えしていたのに、おっちゃんがすぐ食べちゃうからもうやめたんだ。その代わり、これからは店の花を一本もらってお供えすることにしたの。お花は絶対に取らないでよ」  千鶴は偉そうにホームレスに宣言した。 「ええ、そんなのひどいなあ。おっちゃん、あれが毎日の楽しみだったのに」  ホームレスが情けない声で嘆くと、千鶴はバッグの中からプラスチック容器を取り出した。 「その代わり、ほら、これ作ってきたから食べてみて。おっちゃん、生まれは青森って言ってたでしょ」  千鶴が容器の蓋を開けると、ホームレスがのぞき込む。 「これ、〝しとぎもち〟じゃねえか」  ホームレスが嬉しそうな声を上げる。 「へへ、懐かしいでしょ。美味しいよ。おばあちゃん直伝の味だからね。容器ごとあげるから、ゆっくり食べてね」  千鶴はにこにこと笑って、容器ごとホームレスに渡す。 「おっちゃんにこれ作ってたら、里心がついちゃったじゃないの。やばい、やばい。じゃあ、またね。おやすみ!」  さっき泣いていたのが嘘のように千鶴は元気に手を振ると、いつものようにデパートの間の細い道を帰っていった。 「嬢ちゃん、ありがとよ!」  ホームレスが大きな声で叫ぶと、千鶴は後ろを振り返らずに手を挙げて応えた。そのあと、その手で顔を拭うような仕草をしたのが背後からでもわかった。  千鶴の姿が完全に見えなくなってから、俺は柱の影から通りに出た。  ホームレスは容器の中のものを一つ手に取り、旨そうに食べていた。 「よお、兄ちゃんも食ってみるか? 青森は津軽名物の〝しとぎもち〟だぞ」  俺に気付いたホームレスが、容器を俺の方に差し出してきた。中をのぞいてみると、いかにも手作りといった感じの薄く焦げ目のついた白い平べったい餅みたいなものが、ラップに包まれて五つ並んでいた。  断っておくが、ホームレスが勧めてくる、よく知らない女の作った餅など、ふだんの俺だったら絶対に口にはしない。それなのになぜか断る気が起きず、一つ手に取るとラップをはずして齧ってみた。  優しいあんこの甘さと焼き餅の香ばしさが、口の中に広がった。  それは、もう今はいない俺の母が、昔おやつに作ってくれたのと同じ味がした。 (第2章 ナオキ へつづく)

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