コヒガンザクラが咲く頃に
第2章 ナオキ 3

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 私は仕事が終わると、宮町のアパートまで歩いて帰る。  定禅寺通を仙台駅の方へ進み、駅前通を渡ってさらにまっすぐ行けば宮町だ。歩くにはちょっと遠いけれど、タクシーやお店の送迎はお金がかかるから歩くことにしていた。  定禅寺通は、けやき並木の中に遊歩道があるきれいな通りだ。おしゃれなお店や公園などがあり、冬はイルミネーションがきれいだし、ほかにも一年中いろいろなイベントが開かれて観光スポットみたいになっている。  歩いていると、都会だなあと嬉しくなる。とは言っても、私が歩くのは夕方、出勤するときか、仕事が終わった深夜か明け方だけれど……。  でも、仙台の中心みたいな場所で、私は頑張ってるんだと思えていい気分になる。  頑張って昼職をいつか完全に辞められたら、次の目標は木造アパートを脱出して、ワンルームでいいのでマンションに住むのが夢だった。その目標に向けて節約し、コツコツ貯金をしていた。この定禅寺通沿いの、おしゃれなマンションにいつか住めたらいいななんて秘かに思っていた。  店が終わりお店を出ると、皆はすぐに国分町通から定禅寺通に出てタクシーを拾うけれど、私は裏道に入り、駅側にある商店街に出る。  なぜかというと、商店街にあるデパートの角に、小さな神社があるのを見つけたからだ。赤い鳥居も小さな石の祠も、青森の実家の庭に祀っていた神社に似ていて、初めて見た時とても懐かしかった。  それから毎晩、マスターに断って賄い用のご飯の残りでお握りを作り、それをお供えにして帰り道にお詣りするようになった。 「でもさ、お握りなんて神社にお供えするもんなのかなあ?」  マスターにお握りの使い道を話すと、不思議そうに首を傾げていた。  けれども私は青森で、登校前や出勤前、毎日お握りをお供えして祈るのが日課だった。場所は違っても、神様に変わりはないんだから同じでいいはずだ。  ところがある晩、友達になったホームレスのおっちゃんが、私が立ち去るとすぐそのお握りを食べていることに気付いてしまった。それじゃお供えの効果がないから、次からはお店の花を一本もらってそれをお供えすることにした。  そういえばいつ頃からか、神社に寄ると、ホームレスのおっちゃんとナオキが銀行の柱の所で一緒にたばこを吸っているのに遭遇することがあった。 「えっ? なんでナオキがいるの?」 「ときどき、兄ちゃんが寄ってたばこをくれるんだよ」  私の質問に、おっちゃんが嬉しそうに答えた。  おっちゃんは、仙台で初めてできた友達だ。故郷がお互い青森とわかって、意気投合したのだ。  だから、ナオキに友達を取られたようで悔しくて文句の一つも言ってやりたかったけれど、おっちゃんが嬉しそうなので我慢することにした。  ある時、新規オープンするキャバクラに移籍しないかと熱心に誘ってくれる人が現れた。  キャバクラは風営法で営業時間が深夜一時までだけれど時給がいいから、朝五時まで働くガールズバーより稼げると言われて、楽に稼げるのは魅力だなと心が動いた。  でも今のお店にもやっと慣れて楽しくなってきた頃だったし、どうしようかひとりで悩んでいた。  神社の所でナオキに会った時に、相談してみた。その頃、ナオキはキャバクラの送迎のバイトをしていた。  ところが、ナオキはわざとみたいに、キャバクラの悪いところばかりを並べ立てた。 ――キャバ嬢は華やかなイメージで時給もいいが、指名を取るために、今よりもっと衣装や化粧、ヘアセットに力を入れなければならないから金がかかる。 ――勤務時間は短いが、同伴出勤や勤務後のアフターデート、メールやメッセンジャーアプリでのお誘いと、勤務時間以外も忙しい。 ――店によってはノルマが厳しいし、指名競争がある。女の子の派閥があって、雰囲気が悪い店も多い。 「何よりお前にとって難関は、ボックス席で一対一でお客に付いて接待しなければならないことだ」とも言われた。  会話も今よりもっとできないといけないし、ボディタッチも増えるのだ。  ナオキの話を聞いていたら、どんどん気持ちが萎えていった。やっぱり私には無理だと悟った。それで、誘ってくれた人には次の日に断りの電話を入れた。 「もったいないよ。千鶴ちゃん、絶対売れっ子になれるのに……。俺はあきらめないからね。もう一度考えてみて。また電話するからね」  そう言われて困ったけれど、社交辞令だったみたいで、それっきり連絡は来なくなり安心した。  私の指名が順調に増えてきた頃、田所たどころさんというお客さんがしつこくて困っていた。     「今度、お店のあとアフター行こうよ。終わってからが無理なら、同伴でもいいよ」とアフターデートや同伴出勤を誘ってくる。  最初の頃から私を指名してくれていたお客さんなので冷たくもできず、とはいえ外で会うつもりはなかったから、やんわり断るのだけれどなかなかあきらめてくれない。  そのうち仕事のあと待ち伏せされるようになって、退勤時間を変えてみたり、同僚の子と一緒に帰ったりしたけれど、しつこかった。  ある夜、ひとりで退勤だったので、辺りを見回して田所さんがいないのを確かめてから、帰路についた。  定禅寺通は深夜になると、勾当台公園を過ぎた辺から人通りがほとんどなくなる。物騒なので急ぎ足で歩いていると、突然、ビルの影から人影が現れて私の前に立ち塞がった。  田所さんだった。誰もいない所で待ち伏せされていたのだ。  「千鶴ちゃん、なんで俺を避けるの?電話もくれないしさ」  腕をつかまれてしまい、逃げられない。 「ごめんなさい。そういうのはやらないので。離してください」 「ずっと思わせぶりだったのにひどいじゃないか。俺と付き合うと約束してくれるまで離さないよ」  暗い裏通りに引きずり込まれそうになり、恐怖を感じた。どうしよう。誰か助けて!  でも、本当に怖いときって、声が出ないものなんだ。それでも、なんとか助けを呼ばなければと思ったその時、田所さんの腕が突然離れて私は自由になった。 

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