コヒガンザクラが咲く頃に
第3章 ばあちゃんとずんだシェイク 1

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 七月のある日曜日の午前、俺は国分町のガールズバー『ピンキーキャット』へ行き、マスターから預かっていた鍵で店に入った。  給湯器の調子が悪くて修理業者が来るのだが、マスターは年に一度の店の慰安旅行で、女の子やスタッフを連れて昨日から一泊で松島観光に行っていた。  一昨日の夜、店に寄ったら、修理の日程が旅行と被ったとマスターが困っていた。  初めての松島旅行をすごく楽しみにして大はしゃぎの千鶴を見ていたら、つい自分からマスターに、鍵を預かって修理業者の立ち会いをすると申し出てしまった。いつもならこの時間はまだ部屋でゆっくり寝ているはずなのに……。  国分町にはいろんな経営者や店長がいるが、ここのマスターの並木さんは人柄がいいし、店の女の子を大切にしている。  千鶴が最初に入った店がここでよかったと思う。  店に入って二年が過ぎ、千鶴はすっかり田舎臭さも抜けて、店で三本の指に入る人気者になった。  今年の千鶴の誕生日イベントは、シャンパンが何本も入り、初めてにしてはなかなかの売り上げだったとマスターが話していた。  美智香ママの店で学んだのか、客相手の会話も上手になってきたし、まわりの女の子より服のセンスがいいのは、確実にママの影響だ。  俺が『Bar忍冬』に千鶴を連れて行って、千鶴が店に通うようになってから、行儀見習いをさせてくれたり、相談相手になってくれたり、ママは千鶴を妹のように可愛がってくれていた。  休みの日は、二人でランチやショッピングに行っているらしい。  修理が終わるまで、店の壁のポスターを何気なく見ていたら、一枚は店の女の子の誕生日イベントの、そしてもう一枚は浴衣イベントの告知だった。  そっか、今年ももうそんな時期か……。  浴衣デーは、店の女の子が思い思いの浴衣を着る。  千鶴は浴衣がすごく似合う。  一昨年、初めて千鶴の浴衣姿を見た時は、正直ドキッとした。クリーム地に薄紫の模様が入った、ほかの子たちと比べれば地味めの柄だったが、それが千鶴の白い肌によく似合っていた。  昨年の浴衣デーも、用事をわざわざ作って店に顔を出してみた。  着物のリサイクルショップで美智香ママに選んでもらったという紺地の浴衣は、古典的な柄でよく似合っていた。 「ね、ナオキ、これ、たった二千円だったんだよ!」  あっけらかんと話す天然ぶりは、相変わらずだったが……。  三十分ほどで修理が終わり、業者は帰って行った。  さて、自分も帰ってもう一眠りしようかと店の外に出ると、白髪頭のばあさんが店の前でうろうろしていた。いつの時代のかわからない和風柄のスカートと揃いの上着を着て、大きなハンドバッグとボストンバッグを下げている。  ばあさんは店から出てきた俺を見て、「ここがピンクキャットって店かい?」と聞いてきたので、一瞬戸惑う。 「ああ、うん、ピンキーキャットね。何か用?」 「孫がここで働いているらしいんだ」 「孫?」店の女の子の、田舎のばあさんか。 「残念だけど、今日は慰安旅行で皆松島へ行ってるよ」  そう言うと、とてもがっかりした様子だった。  どこから歩いてきたのかわからないが、大きな荷物を抱えてさすがに疲れている様子なのでドアを開ける。 「中に入れば? ちょっと休んで行ったらいいよ」  どうせ暇だし、少しだけなら付き合ってやろうと思った。  ばあさんは小さくてカウンターの椅子に上がるのも大変だったが、手を貸して座らせた。当然だがこういう店は珍しいみたいで、店内をきょろきょろ見ている。  冷蔵庫をのぞくと、烏龍茶があった。 「で、孫って誰なの」  ばあさんの前に烏龍茶のグラスを置きながら、何気なく聞く。すると、ばあさんはハンドバッグの中から、大切そうに一枚の名刺を出して俺に渡す。 「信金の研修で仙台に来た若いやつが、打ち上げで寄った店に孫がいたと教えてくれたんだ」  名刺に目をやり驚く。表には店の名前と所在地、それに店の電話番号が書かれてあり、裏には千鶴と名前があった。 「千鶴のばあちゃんか」 「あんた、千鶴を知ってるのかい?」  ばあちゃんは目を輝かせた。 「うん、まあ」 「千鶴はここで会ったことは家族に内緒にしてくれと頼んだらしいが、普段その信金の子には目をかけてやってるんで、こっそり私にだけ教えてくれたのさ」  そうだよな、水商売をしているなんて、田舎の家族に知られたくはないだろう。 「孫はどうかい? 元気に働いているのかい?」  そう聞かれて、俺は考える。千鶴のばあちゃんの真剣な眼差しからは、孫を心配している様子が伝わってきて、これは冗談では返せないと思った。 「うん。すごく頑張ってるよ。水商売なんて家族は心配だろうけど、浮かれることもなく、真面目に、ちゃんと働いている」 「そうかい」  ばあちゃんは笑顔でうなずいた。 「それに、ここの店主はすごくいい人で、周りの女の子にも悪い子はいないから、安心していいと思うよ」 「それを聞いて、ここに来たかいがあったわ」  ばあちゃんはそう言うと、目の前の烏龍茶をきれいに飲み干し、隣の椅子に置いたハンドバッグから財布を出す。 「いいよ、金は。俺、ここの店の人間じゃないし」 「おや、そうなのかい?」 「うん、頼まれて留守番していただけだから」  そう言いながら、ばあちゃんが椅子から降りるのを手伝う。 「で、これからどうするの? 皆が仙台に戻ってくるのは夕方の五時半頃って聞いているよ」 「残念だが、千鶴には会えそうもないな。午後四時の新幹線で青森に帰るんだ」  地元の婦人会の旅行で昨日から仙台の秋保温泉に一泊で来ていて、今日は団体行動から抜けて千鶴の様子を見に来たのだという。  帰りの切符はもらっているので、出発時刻までに仙台駅に行けばいいらしい。 「なんなら、千鶴の携帯に電話して、早く帰ってくるように言ってやろうか」 「いや、いいよ。楽しんでるだろうしね。それに、あの子に申し訳なくてさ、会うか会わないか迷いながらここまで来たんだよ」  ばあちゃんは、悲しそうな顔をする。  水商売をしている孫がばあちゃんに合わせる顔がないと言うのならわかるが、ばあちゃんが千鶴に申し訳ないってどういうことだろう。 「仙台駅に待合室があったから、そこで皆を待つよ」  待つって言ったってまだ昼を過ぎたばかりだぜ。四時間近くも駅で待つのかよ……。俺は慌てた。 「ばあちゃん、仙台は初めてなの? 」 「いいや。何度か来たことがあるよ。死んだじいさんと来たのが最後だったかねえ」  千鶴のじいちゃんは、五年前に亡くなったのだという。 「だったら、久しぶりだろ? どっか行きたい所はないの? 俺が案内してやるよ」  つい、そんな言葉が出てしまった。どうせ今日は休みで、部屋でだらだらしているだけだ。 「兄ちゃん、付き合ってくれるのかい?」  ばあちゃんの目が輝いた。そして、少し悩んで、恥ずかしそうに言った。 「そうだねえ、千鶴の生活の様子が知りたいのと……」  ばあちゃんはもじもじしている。 「それから、お城の跡にある伊達政宗公の像を見て、ずんだシェイクってやつを飲みたいねえ」  城の跡というのは、仙台城跡のことだ。  ずんだシェイクというのは、枝豆をつぶしたずんだ餡とバニラシェイクとを合わせた、仙台で人気のB級グルメだ。  昨日、仙台駅に着いた時に、駅で販売しているのをツアー仲間の誰かが見つけて、「あれ、すごく美味しいのよ」と教えてくれたのだという。  確か、仙台城跡にもずんだシェイクを売ってる店があったはずだ。  行き先は仙台城跡に決まった。 「わかった。じゃあ、その大きなボストンバッグはここに置いておけばいいから、行こうか」 「ちょっと待っておくれ」  ばあちゃんはボストンバッグから何か小さな紙包みを取り出し、それをハンドバッグに入れて俺の方を向いた。 「これで準備完了。さあ、行こうか」  こうして俺は、千鶴のばあちゃんを観光案内することになった。

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