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「これが最後の花火だね」  大量にあった花火はあっという間にバケツの水に突っ込まれ、残るは線香花火だけになった。  ふたり小さく丸まり、悠ちゃんが渡してくれた線香花火に火を灯す。  私は悠ちゃんが好きだ。  悠ちゃんの、初めての“特別”になりたいと思う。  けれどそう強く思うだけで、どうすればそうなれるかがわからなかった。漫画みたいに告白する? いいや、告白というのは想いを確認し合う行為でありたい。つまり、相手と気持ちが通じ合っているという確証が得られた場合にのみ許されるのだ。  彼のまっすぐな瞳に、私はどう映っているのだろう。  以前、悠ちゃんの学校の女の子たちが、店に遊びに来たときのことを思い出す。女子会、の中にあまりに自然に溶け込んでいた。 『女の子といるほう楽なんだ』  悠ちゃんが、いつだったかそう話してくれたこともよく覚えている。  “楽”が“特別”に変わることはあるのだろうか。  ふたりで黙って小さな火のふくらみを見つめる。橙色の丸いたまがゆらゆら輝く。  帰りたくないな。私たちの夏はずっと続いて、ずっと悠ちゃんの傍にいられて、そしたら、もしかするといつか悠ちゃんも――、  そう祈っている途中、朱く灯る小さなたまがぽつん、と静かに落ちた。    *  夏休みもとうとう最終週に突入し、今日が最後の定休日となった。  私と悠ちゃんは、ふたりでエンジェルロードを訪れていた。  と、いうのもその前日のこと。「島は制覇したの?」と、ひとつずつ名所を挙げていく悠ちゃんに、「……エンジェルロードは、まだ行ってない」と私は小声で申し出た。  島に来たばかりの頃は、それこそ芸術祭に足を運んだりと、観光にも精を出していたのだけど、エンジェルロード、という白い砂浜は、別名恋人の聖地とも言われており、その時は興味が湧かず後回しにしていた。次第にポスターを描いたりと暇もなくなり、エンジェルロードのことなどすっかり失念していたのだった。 「えー! あの砂の道、すごくきれいだよ。ね、行こうよ」その無邪気な言葉をきっかけに、私たちは最後にふたりで出かけることになった。  悠ちゃんは、どんな気持ちで誘ったのだろう。期待してしまう気持ちと、きっとただの気まぐれだろうという気持ちがぐるぐる絡み合い、私の心臓をしめつける。  エンジェルロードの白い砂浜は、太陽の光を反射してくらくらするほど眩しく輝いている。  風に吹かれる髪を耳にかけていると、「わぁ!」と悠ちゃんが声を上げた。悠ちゃんは私に背を向け、遠く向こう側を見ている。悠ちゃんの視線の先にはウェディング姿の新郎新婦がいて、なにやら写真撮影のようなことをしていた。  こんなに遠くにいる私たちにもわかるくらい、ふたりは幸せいっぱいの笑みをこぼしている。真っ白なドレスをはためかせて花束を抱える花嫁さんは、とても美しいものに見えた。 「悠ちゃんもドレス、似合いそう」  私は、小さくこぼした。思わずこぼれた本音でもあり、同時に、どんな答えが返ってくるのだろう、と、そっと探りを入れるような意図も含んでいた。 「へへ、ありがとう。かわいいなぁ……とは思うな。でも僕は着れないよぉ。僕、女性用の服を着ることはあるけど、女装、というか、スカートとかは一度も履いたことないし」  うん、と頷く。悠ちゃんの色素の薄い髪がさらさら風に揺れている。  あの幸せそうなふたりをぼんやり見つめる悠ちゃんの横顔は、なにを想っているのかわからない。「憧れる?」私は呟くように、ぽつりと発した。 「いいなぁって思うよ」 「着たい?」 「だからドレスは着れないってばぁ」 「じゃあタキシード?」 「うーん、でも、ああいう男らしい格好キマらないんだよね」 「そうなのかなぁ」 「葵ちゃんは、僕にどっちを着てほしい?」  え、と悠ちゃんのほうを見たけど、悠ちゃんはこっちを見ていなかった。  私の想像上の悠ちゃんの身なりははっきりしていたけれど、 「それは、悠ちゃんが決めることだよ」  私はそう笑った。それは、私が決めつけていいことではないと思った。「あはは、そうだよね。さ、行こう」悠ちゃんはそう照れたように笑い、白い砂の道を歩き出した。    私たちは、とくに言葉を交わさないままエンジェルロードの砂を蹴った。  水際を歩く悠ちゃんは、押し寄せる波に近づいたり離れたりしながら、きゃっきゃと戯れている。「危ないよ」とか言ってその手を取ってしまえ、という邪な考えと、エンジェルロードの天使の噂ばかりが頭をよぎる。 「悠! 何してんの」  物思いにふけっていると、大柄な男の人の声が鼓膜に届いた。 「そっちこそ。もしかしてひとりできたの〜?」  悠ちゃんがからかうようにくすくす笑っている。その気さくな態度に、どうやら友人であることがわかった。 「いとこが遊びに来てて。連れてけってうるさくてさ」 「そっか」 「あっ! 悠、もしかして彼女か?!」  ばかやろう、と心の中で叫んだ。なんと遠慮のない人だ!  しかし、その答えを聞きたいと切望する自分もいた。  心臓が大きく波打ち呼吸を浅くさせる。 「違うよ〜。葵ちゃんは僕のバイト先のオーナーの姪っ子さん。夏休み中、東京から手伝いに来てくれてるんだよ」  す、と心の波が引いていく感じがした。悠ちゃんはいつもみたいに、にこにこ楽しそうに笑っている。  友人らしき人物と別れ、またふたりで歩き出した。  私は俯いて、悠ちゃんの後ろをとぼとぼ歩いていた。  彼女、という言葉を否定するのは当たり前だ。だって違うし。  だけど、所詮私は、遠くからはるばる来たバイト先のお手伝いさんでしかないのだな。そう思ってしまった。 【エンジェルロードは、大切な人と手を繋いで渡ると砂州の真ん中で天使が舞い降り、ふたりは結ばれると言われています。】  ネットでみた文言がまた頭に浮かぶ。悠ちゃんの手はさっきよりもずいぶん遠いところにある。  快晴の空は目がくらむような群青だ。それがむかつくくらい美しくて、私は破れるくらい強い力で、ぎゅっと自分のシャツの裾を掴んでいた。    *  淡々と、残りの日々を過ごした。  悠ちゃんと顔を合わせるたび、悠ちゃんが笑うたびに切なくなった。それでも上手に笑おうとした。  悠ちゃんへの想いは胸にしまいこもうと思った。気の合う友だちのまま、この関係性を壊さないまま、ひと夏の素敵な思い出として。  そんなことを考えながら、服、充電器、スケッチブック、それから由紀子姉さんから貰ったレコード鞄に詰める。  午前中の爽やかな風がレースのカーテンを膨らませている。ちりん、と鳴る風鈴の音が、どこか寂しげに響く。  8月31日。  私は今日、東京に戻る。  窓から差し込むやわらかな光が、胸元の銀色の筒にきらりと反射した。  昨晩のこと。閉店後、由紀子姉さんが店でささやかな送別会を催してくれた。  湿っぽくならないように、私はずっと晴れやかに振る舞った。そうじゃないと泣いてしまいそうだった。笑ってさよならをしたかった。 「東京に戻ったら絵画教室に通おうと思ってるんだ」  私はこれからの話をした。悠ちゃんは穏やかに微笑み、うんうんと頷いてくれた。 「葵ちゃん、きっとすごい絵を描く人になっちゃいそうだなぁ。楽しみだね」  なんて言う、その表情があまりに優しいから、私は急激にセンチメンタルがこみ上げてきて、「……楽しかったなぁ」なんてしんみりこぼしてしまった。すると、 「これ、葵ちゃんに」  悠ちゃんが、首から下げていた万華鏡のネックレスを外し、私に差し出した。 「え、大切なものでしょう」 「うん」 「受け取れないよ」 「でもね、これがあれば寂しくないんだよ」  にこにこ微笑む悠ちゃんに、でも、と言葉を詰まらせていると、 「僕たち、これが最後じゃないでしょう。また会えたとき、渡してくれたらいいよ」  悠ちゃんの瞳がまっすぐ私に向けられた。瞳の中の私はぽかんとした表情をしていた。悠ちゃんの言葉は、根拠はなくとも確かな説得力を感じさせられるから不思議だ。  また会えるさ。  “特別”にはなれなかったけど、私は、“大切”なものをたくさんもらった。  こんな友だちができたのは初めてだ。  それで充分じゃないか。  ありがとう、と私はそのネックレスを大事に受け取ったのだ。 ――手のひらの中で、万華鏡が朝の光を集め光っている。 「手伝いに来てくれて本当にありがとうね。ものすごく助かったわ」  由紀子姉さんの声が頭上に降ってきて、私は万華鏡をシャツの内側に戻し、立ち上がった。 「私も、思っていたよりずっと、ずっと楽しかった。呼んでくれてありがとう」  お世話になりました、と頭を下げると、大きな手のひらに頭を包まれ、くしゃくしゃと撫でられた。目の奥が熱くなって、こみあげてくるものを必死に引っ込める。  玄関を出ると、世界のはじまりの色をした空が私を照らした。この家にもきちんと頭を下げお別れをして、私は由紀子姉さんの車に乗り込み港へ向かった。    *  車を降りると、潮のいい香りがうんと濃くなる。  港は私と同じような人たちで賑わっていた。  船が出るまでもう少し時間があるので、防波堤に腰掛け、私はスケッチブックを広げた。  鉛筆を手に取り、島を描く。何だか初めてこの港に降りた日のことを思い出す。  焼けるような日差しに疲弊したり、コンビニまで10分以上歩くことに小言を言ったり、本音を言うと、最初の最初は海のにおいをなまぐさいと思ったり、いいなと思うことばかりではなかった。  けれど小豆島の悠久の自然が、そしてかけがえのない出会いが、じわじわと私の心をあたたかな色で満たしていった。  この島が本当に好きだ。楽しかった。小さな夢も見つけられた。  そして悠ちゃんとも、友だちになれた。  視界が青色にぼやけて、空と海の境目がなくなっていく。 「葵ちゃん」  背後から声がして、びくんと心臓が震えた。慌てて目をこする。「悠ちゃん……? び、びっくりした」私は何とか喉の奥から声を引っ張り出した。 「わぁ、来てくれてありがとう……!」  いつもとちっとも変わらない笑みで、悠ちゃんが頷く。 「なにを描いてたの?」  そう言う悠ちゃんに、私は抱えていたスケッチブックを見せた。「小豆島の空にくじらが飛んでる!」と、悠ちゃんが楽しげな光を瞳に宿し眺めている。 「僕、やっぱり葵ちゃんが描く絵、とっても好きだよ」 「そうやって褒めてくれたから、自信もらっちゃったよ」 「うん」 「本当にありがとう!」  そう笑った時、 「……………たかった」  悠ちゃんがなにか言ったようだけど、出航を知らせる汽笛の音でよく聞こえなかった。 「えっなに?」  聞き返す。悠ちゃんがこちらに一歩近づく。  ふたりの距離はほぼ0センチ。私の耳元で、悠ちゃんが小さな声で呟く。 「えっ、」    *  戸惑って、頭の中の整理が追いつかなくて、なんと返せばいいかわからずあたふたしていると、また乗船を促す音が鳴る。  あと2分で船が出る。   「それって、天使が降りてきて……つまりそうなったらいいなって思ってたってこと……?」 「うん、そういうこと……あのね、僕こんなだけど、」 「そんなの、私もずっと思ってたよっ!!!」  人目もはばからず、私はぎゅうっと悠ちゃんに抱きついた。彼もそっと腕を回し抱きしめ返してくれる。初めて触れた悠ちゃんの温度は優しくて、温かくて、涙が出てしまいそうだ。「まもなく出港しますー!」という乗船員の叫ぶ声にハッとして、私は体を離した。 「元気でね」  悠ちゃんがぽろぽろ涙をこぼしながら言い、出会ったときと同じぺかーっと発光するように笑う。 「泣かないでよ、私だって我慢してたのに……っ。悠ちゃんもね。じゃあっ」  私もとうとう涙がこぼれて、でも笑って、悠ちゃんに手を振り背を向けて走った。  船へと駆けながらも、振り返ると悠ちゃんが手を振っている。その少し後ろのほうで、由紀子姉さんも手を振っている。  私も負けないくらい、ふたりに大きく手を振り返す。  息を切らし、ぎりぎりに乗船すると、ブォー、と鳴る汽笛の音が耳に響いた。  8時35分、出航する。  私は急いでデッキへと駆けた。だんだんと島が遠ざかっていく。悠ちゃんと由紀子姉さんも小さくなっていく。  気持ちは晴れやかなのに、涙が止まらないのはどうしてだろう。 「またねーーーーーー!!」  体の底から叫んだ。体がびりびりした。気持ち良かった。  もう隣に悠ちゃんはいない。  だけど、傍にいられなくとも深めていける絆だってある。  さっきの悠ちゃんの言葉と、最後に訪れたエンジェルロードの風景が、頭の中でリフレインする。 『あの時、本当は……手、繋ぎたかった』  これは別れの船出ではなく、はじまりへ向かう物語だ。  風が颯爽さっそうと吹き、私の涙を海に飛ばす。デッキのベンチに腰を下ろすと、私はスケッチブックを取り出した。悠ちゃんを描こうと思った。  また会えた日に渡せたらいいな。そう思いながら。 了

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