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「お疲れ様」  店長が奥の部屋から顔を出し、にっこりと笑った。  閉店準備を終えて、箒も片付けたところだ。後は着替えて帰るだけだったのに、予想外の邪魔が入ってしまった。店長は黒目をキョロキョロと動かし、愛嬌のある笑顔を見せる。 「君がいるから、今日も店は大繁盛だよ。明日もよろしくね」 「…どうでしょうかね」  店長は野次馬精神が豊富で陽気な人だ。俺の事をからかってばかりだが、根は悪い人ではないのだ。ここで働き始めて随分長くなるが、こうして続けて来られたのも、店長のフォローがあったからのように思う。  でも、そろそろ限界だ。  はじめは一人暮らしで料理をしなくなったので、まかない目当てでバイトを始めた。その時からバイトのメンバーは何度も代わり、古参は俺以外に一人だけ。以前はここまで女性客は多くなかったので、人間関係で亀裂を生む事もなかった。  でも今は、収拾がつかなくなるほど、俺が店を荒らしている状態だ。他のバイトからの風当たりが強く、皆が俺に辞めてくれと言っている。無視し続けてきたのも、もう限界に近い。  タイムカードを切ってから、エプロンの紐を解いた。 「お疲れ様です」 「うん。お疲れ」  男性用の更衣室に入ってみると、交代で先輩が出て来た。「お疲れ様です」と挨拶をするが、何も言わずに行ってしまう。彼が唯一の長い付き合いだ。でも彼にまでこんな態度をとられると、疲れが更にましていくようだった。  今度のバイト先は、あまり人と会わない所にしよう。ピザの宅配とか工場も良いかもしれない。  ロッカーを開けてから、鞄の中を確認してみる。スマホが絶えず光っており、メッセージが三十件を超えていた。件名にはハートマークが並んでいる。 「……はあ」  つい独り言が漏れてしまい、口を覆う。すると、メッセージに紛れて、ある知らせが届いていた。  件名には、同窓会のご案内と書かれ、委員長の前書きで、知らない名前が羅列している。  高校時代を思い出してみても、とくに覚えてはいなかった。元々人の名前を覚えるのが苦手だ。時間と共に風化していき、何も残らない。同窓会と聞いたところで、郷愁の念に駆られる筈も無く、迷いなくメールを削除していた。 人に執着せずに生きると、記憶も空白ばかりだ。  制服を折り目に沿って畳み、ロッカーのカギを閉めた。忘れ物がないか再度確認し、帽子を深めに被る。人目を避けて、そっと裏口から出ようとした。

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