ノンフィクション・批評・感想ランキング(週間)

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たいらごうの頭の中を解説してみた
 皆さまこんにちは、たいらごうです。  自分の書いた小説でも、一旦誰かに読まれれば、それは読者のものになる。小説の解釈は読者の自由であり、その結果、10人の人に読んでもらえれば、10種類の物語が出来上がる。およそ小説と言うものはそのようなものであると考えています。  ただ、その解釈と言うものは、読者が持つ作者に対する認識によって大きく左右されてしまうというのも、また事実かと思います。  そこで今回、私が他のサイトのコンテストに出品した小説を題材に、作品の解説を自分でしてみようと思いました。  きっかけは、ある方にこの作品の感想をお願いしたところ、快くうけてくださり、感想をいただいたことです。(K様、本当にありがとうございました!これからも仲良くしてくださいね!)  で、ですよ。K様から頂いた感想を、「こういう風に疑問を持ったり解釈する方もいらっしゃるんだ。でも、それはそれで、その方の解釈なのだから、それでいいのだろう」と思いました。もちろん今でもそれは変わりません。  しかし、それを「それでいい」で終わらせてしまっては、折角お時間を使って私の小説を読み、感想を付けてくださったK様に失礼ではないか、とも思ったのです。それを活用して初めて、使っていただいた時間が宝物になる、と。  私の作品をいつも読んでくれるお仲間の方は、それはそれは褒めてくださるのですが、(みなさま、ありがとう!ごう君はあなた方がいるから、小説サイト界隈で図太く生き続けられています!)、私とは違う感性をお持ちの方の意見というのは、なかなか聞く機会がありません。そこには、厳しい意見もあるのですが、それを受け止めて、自分を向上させていくことが、創作家の「努力」であると考えています。  私がなぜ、どのような意図で、このような小説を書いたのか。それを解説することで、「たいらごうという人物が何を考えているのか」を知っていただき、あわよくば、「たいらごう」の宣伝(笑)になればと思った次第です。  それが成功するか失敗するか、知ることでますます「たいらごう(笑)」になるのかは、読んでいただいた方の解釈次第。二・三話目に『本編』(10000字)の作品を載せますが、解説だけ読んでいただいても結構です。  本編は若者向けのエンタメ作品で、形式はライトノベル、ジャンルはファンタジー・SFです。ご了承ください。
平 剛(たいら ごう)
2020/12/08 15:04
6
アポロンが堕りる刻
その刹那、人類は自らの行為に恐怖する……  戦争の世紀と呼ばれた二十世紀。そして、その世紀で繰り広げられた幾つかの戦争により、皮肉にも文明や科学などが、兵器や武器の改良を介して進歩していった。政治の力学のみならず、国家自決の植民地支配、ひいてはその発展形ともいえる帝国主義の野放図的な氾濫。そこに工学や化学の急速な進捗により、もはやワールド・スタンダードのコモンセンスはパラダイム変換してしまった。拡張する殺傷・殺戮兵器は、その物理的脅威よりも、人々に精神的、もっと具体的に述べるのならば、道徳観や倫理観にも影響を及ぼす結果となった。 特に第二次大戦中に開発され使用された「原子爆弾」。 核爆弾とも言えるそれは、今日をもってしても人類史上の最凶かつ最悪・最大の大量殺人兵器として君臨している。ただそれは単純に科学の粋の結晶の一言ですましていいものなのだろうか。人間同士の戦争を、対人間の体を消し去った、人間または軍人による戦略・作戦・戦術などの頭脳戦をも皆無にしてしまった、ある意味、人間臭い戦争の終焉になったのではないか。 本作品は世界大戦の背景で生まれた、原子爆弾の製造に関わる戦史の秘話的なエピソードと並行して、戦争の世紀における、人類が発展させた科学の功罪や、その後の歴史認識を問う。特に第二次大戦下における、各国の高官や政府、軍部首脳の駆け引きなどもそこに織り交ぜている。  さらに敷衍して、原子爆弾の仕組みは元より、クラウセヴィッツの「戦争論」などを参照して、戦争という行為の整合性や論理性などにも問題提起をしていき、大枠の意味で通常戦闘とは何か、という意義も探っている。 また、大戦中における原子爆弾製造の秘史の流れから、現在も隘路の俎上にあがっている、放射能や放射線漏れによる原発問題(原爆と原発という対立概念の側面からと)、いわゆる原発の元である核分裂反応の仕組みについても触れつつ、それらをテーマとした重層的な作りのドキュメンタリー小説として、長編的というよりかは、コンパクトな形でまとめてみた。
古橋 智
2020/10/21 16:45
9
我、一粒の麦なりて
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して一九三九年は九月に勃発した第二次世界大戦。ナチスは戦争によって領土拡大(生存圏の拡張)する第三帝国思想に基づき、欧州の各国を次々と陥落させるとともに、一方で優性思想と選民思想を掲げて、アーリア人至上主義を達成するため、ドイツ国家の国民にそぐわない人民を排除する、所謂、大量虐殺(ホロコースト)を敢行する。特にユダヤ人はその最たる標的として、大量のユダヤ人がアウシュヴィッツ=ヴィルケナウと呼ばれる絶滅収容所(絶滅収容所自体は多数存在する)に送り込まれ、そこで虫けらのように殺されていった(実際にはユダヤ人だけでなく、ポーランド人やノルウェー人やベルギー人、ロマ族の人々、さらには精神的・身体的不具者から浮浪者や同性愛者まで、処刑対象は多岐に渡っている)。  そんなナチスの非道の行為が進行していく中の一九四一年の八月。アウシュヴィッツで一つの事件が起こる。収容所から脱走者が出たのだ。そのようにアウシュヴィッツ内で脱走者が出た事態が起こると、その脱出者のいた班の連中が連帯責任をとるために、監獄の一室の中に十人が選ばれ閉じ込められて、餓死刑に処せられる、という拷問が発生する。選ばれる犠牲者はランダム。選ばれた者は確実かつ苦悶必至の死が待っているだけ。選ばれた人々は悲嘆に暮れる。特にその中でも選ばれてしまった元・ポーランド兵士は、残した家族を想い絶望のどん底に落ち込み泣き叫んでいた。  だが、その時一人の神父が前に出る。この人の代わりに私が餓死刑を受けましょう、と。彼の名はマキシミリアノ=コルベ。ポーランド人のカトリック司祭だった。
古橋 智
2021/05/03 15:42